2012年12月25日火曜日

堕胎間引きと「産めよ殖やせよ」政策

「教え導いてもらわねば、かよわい女の私には、お産などできるはずはない」という思想は、容易に女らしさを指向する女性たちに受け入れられた。この女性像は、その後女性が「産めよ殖やせよ」と、国家のための、お産を迫られる第二次大戦末期まで、お産のあり方だけでなく女性の生き方の細々とした部分にまで浸透していった。

病気や難産ではなく普通の出産に、男性助産専門家(産科医)が大量に進出し始めたのは、敗戦後の一九四八(昭和二三)年、「優生保護法」の公布施行を契機としている。平常のお産における専門家の進出は、この時期までは、産婆だけに限られていた。それは当時誰もが平常産を医療の必要な領域としてではなく、女性の暮らしの一部とみなしていたからである。しかも女性の性器に直結するものであったから、女性同士に任すのが一番自然だと考えられていたのである。

つい近年、一九七二~七三年と一九八二~八三年の二度にわたって、この優生保護法「改正」の動きが起こり、いずれも障害者や女性たちの激しい反対運動によって、ようやく「改正」が阻止されたことは記憶に新しい。この法律の考え方について、少し系統的に述べてみたい。まず現在、女性が妊娠を自覚した時、特別の理由もなく人工妊娠中絶をすることはできない。刑法第二二一条で、「懐胎ノ婦女薬物ヲ用ヒ又ハ其他ノ方法ヲ以テ堕胎シタルトキハー年以下ノ懲役二処ス」と決められているからである。また同じく、産科医や助産婦で、「婦女ノ嘱託ヲ受ケ又ハ其承諾ヲ得テ堕胎セシメタルトキ」(第二一四条)も処罰されることとなっている。

この「堕胎罪」は、日本では一八八〇年、旧刑法においてはじめて制定され、現在に至っているものだが、もちろん「堕胎」という産児制限法は、明治期に入って急に考案されたものではない。むしろ古来より庶民から殿上人にいたるまで、なかば公然と行なわれていた産児制限の慣習であった。とくに江戸期には幕府など支配者層は米穀を財源とし、建て前は農民の重視、現実は苛酷な搾取という政策を行なったから、農民たちの窮乏は目をおおうぽかりであった。そのため農民の間では、生存を守るやむを得ぬ手段として、この方法は非常にしばしば実行されていた。

また、為政者たちも各々建て前的には禁止したが、実際には年貢さえ徴収できれば、他のことを黙認したため、都市部では「中條流」という看板をかかげて公然と堕胎業を営業するものもあり、武士や町人階級の間でも、頻繁に堕胎は行なわれた。仏教もまた一方では、堕胎符という、堕胎をしても、これさえあれば救われるという守り札を庶民に売りさばいて利益をえヽ他方では地獄における受苦図を持ち歩いて^その悪習をいましめ布教の手段とするという有様であった。

したがって江戸後期に至っては、各地で堕胎や間引きの禁止令や慈善的養育援助事業が、篤志家や僧侶たちによって行なわれたりしたが(高橋梵天著「堕胎間引きの研究」第一書房)、堕胎や間引きという慣習は一向に少なくならなかった。さて、このように為政者たちは近代的刑法を整備し、堕胎罪として法的に禁止したが、女性たちは、伝統的に伝えられ継承されてきた動植物薬や技術の知識を持っていたし、そのような行為を行なうことについて、人々の間にそれほどの罪悪感もなかった。

2012年9月3日月曜日

地図は文章を書くうえでの重大な参考書

百科事典のほかにも、いくつか、ことばのストックの道具がある。ひとつは、地図である。まえに、南九州の白地図をひきあいに出して、はたしてわれわれが地名を知っているかどうか、を反省してみたが、日本だけでなく世界についても、どこに、どんな山があり、なんという川があり、そして、どんな都市があるか、といった地名を知っていることはだいじなことだ。

旅行をするときにも、地図をひとつもっていると、たいへんに役に立つし、おもしろい。中部山岳地帯を鉄道で旅行するときなど、地図と照らしあわせて風景をながめるなら、ひとつひとつの山の名まえからその標高まで、手にとるようにわかるのである。

わたしじしんは国内旅行には日本地図、海外旅行には世界地図をもって出かけるようにつとめている。小型のいい地図がないのが残念だが、ポケッ卜版で、いちおうととのったものもある。すこしかさばるが、地質だの気侯だのもわかるから中学生用の地図帳がいちばんいいかもしれぬ。

地球儀をじぶんの手もとにおいて、しょっちゅうそれをながめるのも、気字雄大でよろしい。じっさい、わたしの友人のなかには、ポケットのなかに地球儀ゴム風船をしのぼせ、必要に応じて、どこででもその風船をふくらませて世界を考える、という人物がいる。それほど極端に走らないでもよいから、すくなくとも手心とに地図帳を一冊、そなえておいたほうがよい。

じっさいにあったはなしだが、商社につとめている貿易マンで、しょっちゅうクェートと商業通信文をやりとりしていながら、世界地図のうえでクェートがどこにあるのか、なかいあいだ知らなかった、という例もある。地名が出てきたら、すぐに地図・・・くだらないことのようにきこえるかもしれぬが、地図は文章を書くうえでの重大な参考書なのである。

2012年8月8日水曜日

露呈した金融行政の矛盾

この再建計画は単にずさんだというだけではなかった。もうひとつ別の、そしてもっと大きな問題を含んでいたのである。新生銀行(旧日本長期信用銀行)がそごうに対して持っていた約二〇〇〇億円の債権を預金保険機構が買い取ったうえ、九七〇億円分の債権を放棄するという点だった。

破綻した旧長銀を国が一時国有化して、米国の投資会社リップルウッドーホールディングに売却した際、貸出債権が三年以内に二割以上減額した場合は、同機構に買い取り請求できるという特約があったからだ。これは、民法の瑕疵担保責任条項を準用したもので、「担保特約」と呼ばれている。放漫経営で資産内容が傷みに傷んだ旧長銀をまるごとどこかに引き受けてもらうには、このような特約を付ける必要があったのだ。

いずれにせよ、新生銀行はこの特約をタテにとってそごう向け債権を預金保険機構に押し付け、自らはまったく損失を被ることはなかった。だが、認可法人であり、事実上、政府の一部を構成する預金保険機構の債権放棄は、税金による救済にほかならない。

金融機関であれば、預金受け入れ・貸し出しを通じて信用創造と決済機能を備えるという公的性格を持つ。これが、金融機関の破綻処理や大手銀行への資本注入などに税金が使われる際の「錦の御旗」だった。だが、流通業であり、一般の事業会社にすぎないそごうに税金を投入する大義名分はまったく見当たらなかったのである。

このため、国民の間からは「大手とはいえ、一デパートを税金で救済するのか」という批判が高まった。そして、怒った消費者はそごうで買い物をするのをやめた。「不買運動」がごく自然発生的に起こったのである。山田社長が「お中元商戦も深刻な影響を受け・・・」と発言した背景には、そうした状況があったのだ。もともとブランドカの弱いそごうがこんな形で消費者を敵に回しては、ずさんな計画の下の経営再建の実現はますます遠のかざるを得ない。民事再生法の適用申請は避けられなかったことなのである。

そごう倒産劇をめぐっては、国民の怒りが各方面に向けられた。まずは、無謀な出店戦略でそごうを破綻させながら、自らは高額の報酬を得ていた水島前会長。前会長の放漫経営に資金を供給し続けた主力銀行の興銀。興銀はすでに九四年二月期の段階で、そごうがグループとして債務超過に陥っていたことを把握していたにもかかわらず、なんら抜本対策を講じようとはせず、他の金融機関を欺き続けた。

そして、預金保険機構の債権放棄を了承した金融再生委員会に対しても、厳しい批判が向けられた。国民は金融機関への税金投入に対しても釈然としていなかったのに、事業会社まで救済しようとする究極の「護送船団行政」に強い拒否反応を示したのである。このまま税金による救済が通れば、企業経営者のモラルハザード(倫理の欠如)に歯止めがかけられないのだ。

そごうは一流通業者とはいえ、その倒産劇には、日本の金融行政、金融業界の抱える問題点が露呈した。まず営不振を続ける大手企業が破綻する恐れも出てきた。新生銀行はこれらの企業にもかなりの債権を有しており、そごう同様に担保特約をタテにとって預金保険機構に押し付ければ、そうなる可能性は高いのである。その場合、いったん沈静化した金融不安が再燃しかねない。

担保特約には、この間の日本の金融破綻処理の矛盾が集中的に現れている。また、国民は水島前会長らそごうの旧経営陣の経営者失格ぶりに怒りを示しただけではない。護送船団行政、裁量行政から抜け出せない金融当局、「銀行の常識は世間の非常識」を地でいく大手銀行の無責任さなどには、怒りを通り越してあきれてしまったのである。

一九九四年暮れの東京のふたつの信用組合の破綻から始まった金融不安、あるいはその克服を通じて、日本の金融行政は大きくカジを切り替えたはずだった。しかし実は、根底においてあまり変わっていなかったのではないか。そごう問題は多くの国民にそう感じさせずにはおかなかった。

2012年7月5日木曜日

本質は財務省財政再建至上主義

民主党代表選で野田佳彦氏が新代表に選出された。現時点で誰が就任するのかは未確定だが、2009年8月総選挙後、3人目の内閣総理大臣が誕生する。政権の枠組み、政策の方針が変わらないのであれば国民に信を問う必要はないだろう。

しかし、政策基本方針を国政選挙での約束から変更するということであれば、主権者国民に信を問う必要がある。政党および国会議員が主権者国民の負託を受けた存在であり、政党および国会議員は主権者国民と約束した契約内容を順守する責務を負っている。

菅直人政権は政策方針を大転換したから2010年7月参院選で国民の信を問い、不信任の判定を下された。ここで菅政権は総辞職しなければならなかったが、14ヵ月も首相官邸を不法占拠したのだ。

仮に野田政権が発足して、主権者国民との契約に反する政策を進めようとするなら、速やかに総選挙で国民の信を問う必要がある。それが、民主主義のルールである。

菅政権が野党と談合している消費税大増税方針も、2009年8月総選挙での民主党と主権者国民との契約に照らせば、明らかな契約違反である。代表選で小沢一郎氏グループが強く指摘したのはこの点である。

2010年6月、菅直人首相は突然、参院選マニフェストとして消費税率10%への引き上げ方針を発表した。民主党内の民主的な意思決定手続きを経ることなしに新提案を政権公約に盛り込んだ。しかし、主権者国民はこの提案に猛反発し、菅直人民主党を大敗させた。

最大の問題は、民主主義の意思決定の主役が国民であるとの原点を踏みにじっていることだ。菅政権がのちに野党と談合して決定し、今回の代表選でも問題になった三党合意も、菅政権の執行部が独断で決めたことで、党内での民主的な意思決定手続きを経て決定されたものではない。

何よりも重要なことは、その内容が、総選挙の際に政党が主権者国民に了解を取ることなく変更してしまったら、これは「詐欺」である。政策詐欺だ。政権政党が主権者国民と結んだ契約内容に反していることだ。野田民主党は政策詐欺集団だということになる。何よりも重要なのは税制問題である。

2009年8月総選挙の最大の争点のひとつが消費税増税問題だった。麻生自民党は所得税法附則104条を定めて、2012年度消費税増税を政権公約に掲げた。

これに対して、鳩山民主党を政権公約とした。増税より前に官僚の利権を切ることを主権者国民は鳩山民主党は2013年の衆議院任期満了までは消費税増税を行わないことを政権与党に選択した。この選挙で主権者国民に約束した。消費税増税を認めない意思を明示したのだ。

三党合意とは、2008年9月総選挙で民主党が主権者国民と約束した「子ども手当」を廃止し、マニフェスト全体を廃棄することについての民自公三党の合意である。

代表選をめぐるマスゴミ報道は、これらの点についての小沢氏グループ、鳩山氏グループの主張を徹底的に攻撃するものであった。

小沢氏グループ、鳩山氏グループは、主権者国民との契約内容を守る責任を重視すべきだと主張した。主権者国民との契約を一方的に破棄する行動を取る菅政権の姿勢を批判した。だからこそ、消費税増税も、三党合意も新政権では抜本的に見直すことを表明したのだ。これが正論であることは、少し考えれば誰でも分かることだ。

ところが、マスメディア(=マスゴミ)はこの小沢氏、鳩山氏グループの主張を、自分勝手な行動だとして、激しい攻撃の対象にしたのだ。

子ども手当を廃止してマニフェストを廃棄する。そして、2010年代半ばに消費税率を10%に引き上げることを定める法律を2012年の通常国会に提出して成立させる。さらに、震災復興政策の財源を復興税で調達する。

2009年8月総選挙、2010年7月参院選で主権者国民が示した意思と正反対の政策を実行することを野田佳彦氏は宣言している。主権者国民から見れば、野田佳彦氏も菅直人氏と同様、完全な背信者である。この背徳の政策方針を示した人物を民主党国会議員は新しい代表に選出したのである。

決選投票で海江田氏に投票した議員以外は、その罪万死に値すると言って過言でない。仮に野田政権が誕生するということになると、未曽有の大震災で存亡の危機に直面し続けている人々を、これから、未曽有の大増税が襲うことになる。

他方で、財務省は統廃合で消滅したはずの国際協力銀行を肥大化させ、日本政策投資銀行、日本政策金融公庫と合わせた天下り御三家を温存し、日本たばこ産業、東証、日銀、横浜銀行、西日本シティ銀行などへの天下りを完全温存する。

4年間で45兆円もの巨額損失を生んでいる外為特会では、本来、損失の穴埋めに使わねばならない利子収入を使って、役人が豪勢な海外旅行を繰り返している。

重ねて記述するが、庶民には大増税を押し付け、官僚は天下り天国で引き続きのうのうと暮らす姿はすべて、主権者国民の了解を取り付けたものではない。民主党が新しい代表を選出した契約内容を破棄する政策を実行するというのなら、その前に、主権者国民と契約したと言っても、主権者国民に信を問うことが必要である。

とりわけ増税については、必ずその前に国民に信を問うことが約束されている。2015年、2016年に実施する消費税増税を法律で決めてしまって、一体いつ主権者国民に信を問うというのか。

法律を成立させてしまって1年も2年も経って総選挙が行われても、民主党は増税法についてなど、まったく触れようとしないだろう。しかも、大政翼賛会で増税を批判する勢力を消し去ろうというのだ。

財務省天国・庶民地獄政権が発足して、主権者国民が黙ってそれを許すと思ったら大間違いだ。ここまで来た以上、本来の民主党主流派は今度こそ民主党と袂を分かち、広く同志を糾合して純粋な主権者国民政党を樹立して独立する必要がある。党名は「減税日本」でもよいだろう。最初は国会過半数に届かぬとも、必ず国会の多数を占める日が来るはずだ。

大政翼賛会・野合民自公連合党名称を新党「増税日本」と名付け、次期総選挙を「増税日本」対「減税日本」で戦ってもらいたい。

仮に野田政権が誕生するとしても、野田政権が財務省天国・庶民地獄政権であることはすぐに明らかになる。この野田政権の本質が財務省財政再建至上主義とともに沈没することは間違いない。

2012年6月1日金曜日

党見解の統一も暗礁に乗り上げた

前原氏は昨年12月下旬、渡辺秀央参院議員にこう頼み込んだ。「相談相手になっていただきたい」。渡辺氏は旧自由党時代の小沢氏の側近だ。いまは小沢氏と疎遠だが、党内で「小沢氏を最もよく知る男」の1人といえる。「肩書は要らない。君を応援しよう」。渡辺氏から言質を得た。

前原氏は「プライベートなことだから」と、渡辺氏に相談役を頼み込んだことを公言していない。だからこそ「ベテランをひそかに前原応援団に引き込み、いざ党内がごたごたした場合の『弾よけ』にするつもりではないか。弾を撃つのはもちろん小沢氏だ」(中堅議員)との見方も出ている。

ところが前原氏にとって想定外の激震が襲う。安保論議を本格化すると決めた直後の2月16日、衆院予算委員会で永田寿康氏が送金メールを取り上げ、その後に虚偽メールであることが発覚。引責辞任した野田佳彦前国対委員長の後任に渡部氏が決まるまで約2週間にわたって混乱が続いた。

前原氏の党内掌握力は急速に低下し、安保論議どころではなくなった。外交・安保論議の最初のハードルである中国の軍事力に関する党見解の統一も暗礁に乗り上げた。山岡氏が会長に就いた安保調査会は開店休業状態だ。

だが、前原氏はなお内政、外交の前原ビジョン策定への執念を捨てたわけではない。「教育問題についてお考えを聞かせてください。こちらから議員会館に伺ってもいいです」。前原氏が声をかけ、3月17日に会ったのは自民党時代から小沢氏と行動を共にしてきた西岡武夫参院議員だった。

常に小沢氏への意識がちらつくように見える。小沢氏に近いベテラン議員の動きに注意すると、前原、小沢両氏による水面下のせめぎ合い、そして民主党内の力学変化が浮かび上がってくるかもしれない。

2012年5月10日木曜日

朝の読書「落ち着いて1日始められる」

秋の読書週間が始まったが、朝の読書(朝読〈あさどく〉)を学校の活動に取り入れている小・中・高校が全国で2万6732校にのぼり、全体の72%を占めていることが、朝の読書推進協議会(大塚笑子理事長)の調査で分かった。朝に本を読むと落ち着いた気持ちで一日のスタートが切れるなど、効果を実感する声も広がっているという。

朝読は「毎日やる」「みんなでやる」「好きな本でよい」「ただ読むだけ」が4原則。1988年に千葉県の2人の教師が始めたのがきっかけだった。同協議会は本の取次会社トーハンの協力で97年から実施率などを調べており、10月25日現在で小学校と中学校はそれぞれ76%、高校は42%で朝読をしていた。

都道府県別では佐賀の93%が最高で、鳥取が92%、福井、静岡、島根が89%と続く。逆に低いのは東京51%、大阪53%、北海道55%、神奈川56%など。実施している学校のうち、全校一斉の学校が89%あった。また朝読時間は10分間が最多の53.4%で、15分間が33.8%、20分間が9.1%と続く。ただ、毎日実施できている学校は34.2%で、週1日が21.5%、週2日が13.5%、週3日は8.4%だった。

年々実施校数は増え、02年に1万校を超え、03年に1万5千校、05年に2万校、07年に2万5千校を突破した。朝に本を読むことで、読解力や文章力が向上し、積極性や思いやりの心が生まれるといった効果も報告されている。

トーハンは読書習慣を家庭にも広げようと06年から「うちどく」(家読)も推進している。今年の国民読書年を記念した調査では、全国の市町村のうち437市町村から回答があり、203市町村が講演会や親子読書会などを開催して、家庭での読書を推進していることも分かった。

2012年5月7日月曜日

憲法解釈の変更で国際貢献活動が可能

「隠居状態」だった73歳の渡部恒三氏を国会対策委員長に引きずり出し、偽メール問題で負った傷を癒やそうともがく民主党。43歳の前原誠司代表は昨年9月の就任以来、「若さ」を最大の売り物としてきたが、実はメール問題が発生する前からベテランを後ろ盾にしようと試みてきた。その人選をみていくと、前原氏の狙いが透けて見える。

2月14日の役員会。前原氏は休眠状態だった党総合安全保障調査会を再び立ち上げることを決めた。集団安全保障に関する基本法の詰めの議論を進めるためだ。会長には小沢一郎前副代表に近い山岡賢次副代表を登用した。

前原氏が党内の安保論議を本格化するに当たり、最も気にかけていたのは小沢氏の意向といえる。「中国脅威論」や「集団的自衛権行使の限定的容認」を持論とする前原氏に対し、横路孝弘衆院副議長ら旧社会党系の党内左派は強く反発している。だが前原氏は左派の反対だけであれば、最後は数の力で押し切れると踏んでいたフシがある。

憲法改正を視野に入れる前原氏にとって、憲法解釈の変更で国際貢献活動が可能だと唱える小沢氏のほうが、議論がかみ合うだけに真っ向から反対されればやっかいな存在になる。政策的には「近親憎悪」の関係だけに互いに譲れない。岡田克也前代表の時代も2人の意見が折り合わず、昨年の衆院解散で議論が「水入り」となった経緯がある。

もちろん小沢氏の党内外への影響力の大きさも警戒した。特に前原体制に移ってから、小沢氏は前原氏と距離を置いている。前原氏の宿願である安保論議を進めるためにも小沢氏との間の緩衝材が必要だったというわけだ。

2012年5月2日水曜日

人事の骨格を内定

民主党の鳩山代表は7日夕、党本部で小沢、菅両代表代行、岡田幹事長ら党幹部と会談し、「鳩山新政権」の人事の骨格を党として内定する。連立政権樹立に向けた社民、国民新両党との協議も大詰めを迎えており、閣僚人事は週内に大半が固まる見通しとなった。

鳩山氏は7日の幹部協議で、閣僚人事について、首相の下に新設する国家戦略局の担当相である国家戦略相に、副総理と兼務で菅氏、外相に岡田氏を充てることなどを表明する。党幹事長に小沢代表代行を起用し、輿石東参院議員会長は続投させる。幹部らは人事を了承する見通しだ。

党役員の布陣をめぐっては、小沢氏が主な人事を固め、鳩山氏の了承を得る形で進むと見られる。

政策決定の内閣一元化に向け、連立政権樹立後、社民、国民新両党と党首級の協議機関を設置する考えを表明。並行して、社民党の福島党首、国民新党の亀井代表の入閣も検討している。党首が入閣すれば、協議機関も内閣のメンバーで構成することになり、閣内ですべての政策決定が行えるようになるとの考えからだ。

民主、社民、国民新3党の連立協議は8日に再開する。社民党が求め、民主党が慎重姿勢を見せていた与党の政策協議機関については、鳩山氏が表明した党首級の協議機関を代わりに設ける案に社民党が合意する見通しだ。これにより、連立協議が加速、週内に合意に達する可能性が出てきた。

2012年4月18日水曜日

両院議員総会で反対意見が出る

衆院選で大敗した自民党は31日、再起への第一歩となる総裁選の日程を「9月18日告示・28日投開票」とし、9月中旬に予定される特別国会召集後とする方針を決めた。

首相指名選挙で、自民党国会議員は現職の麻生総裁(首相)を選ぶことになるが、惨敗の引責で辞任表明した首相の名前を書くことに抵抗のある議員も多く、党内には戸惑いと反発が急速に広がっている。

後継総裁については、谷垣禎一・元国土交通相、舛添厚生労働相を推す声が出ているほか、石破農相らが出馬に意欲を見せている。

首相は31日、党本部での記者会見で、総裁選の日程について、「党の再生を図るには、党員を含めていろいろな意見を十分踏まえる必要がある。特別国会召集までの意見集約は、物理的に難しい」と述べ、特別国会後に総裁選を行うべきだとの考えを示した。

総裁選を9月下旬に行うべきだと主張しているのは、細田幹事長や菅義偉選挙対策副委員長ら、首相に近い幹部が多い。党再生には、地方議員や党員の意見を反映させる必要があり、特別国会の召集前では、「時間的に制限がある」(細田氏)というわけだ。任期途中の総裁選ではなく、9月30日の任期満了に伴う選挙という事情もある。

しかし、党内には、選挙投票日の翌日、上京している議員が少ない時点で、執行部が一方的に総裁選日程を決めたことへの反発も起きており、党内対立の様相も生まれつつある。

加藤紘一・元幹事長は31日夜、首相指名選挙での自らの投票行動について、「白紙も一つの選択肢だ。今のところ、それしかない」と冷ややかに語り、白票を投じる考えを示した。都内で記者団に語った。

田村耕太郎参院議員も31日、「国民の審判で『ノー』と言われた『麻生』と書くのは民意に反する。あり得ない。両院議員総会などできちんと議論するべきだ」と記者団に強調した。

全国の党関係者から「なぜ、この日なのか」「A級戦犯の麻生氏になぜ、投票するのか」などの不満や批判の電話が相次いでいるという。

仮に首相指名選挙で「造反」が出れば、党再生は冒頭から頓挫する。執行部からは「造反者が出ないよう、今から各議員を説得するしかない」との声も出ている。

日程については、9月4日の全国幹事長会議、8日の両院議員総会で反対意見が出る可能性もあり、党の再生は冒頭から波乱含みだ。

世界同時不況の克服とアジアの成長力強化

世界同時不況の克服とアジアの成長力強化に向け、麻生首相が12日にタイで開かれる東アジアサミット(EAS)で表明する日本政府の提案の全容がわかった。途上国政府の財政支援のため、最大3千億円(約30億ドル)の円借款を提供するほか、各国の食料生産力向上のため、5年間で1千億円(約10億ドル)の支援と1200人への研修実施を行う。

東アジアサミットは05年に初めて開かれ、今年で4回目。ASEAN(東南アジア諸国連合)と日本、中国、韓国、インド、豪州、ニュージーランドの計16カ国が参加し、将来の東アジア共同体構築も視野に地域協力を進めている。今回は世界的な金融・経済危機を受け、「世界の成長センター」と言われるアジアの協調が注目されている。

首相は1月のダボス会議でアジア諸国に1兆5千億円のODA(途上国援助)供与を表明。その後の経済悪化を受け、今月、ロンドンで開かれたG20(金融サミット)で、2兆円規模への拡大を打ち出した。

今回はその使途として(1)途上国政府への財政支援(2)セーフティーネットの整備や農村・地方、保健医療、教育などへの支援など、金融危機の影響を受けやすい分野や人々への支援(3)道路、鉄道などのインフラ整備(4)財政・金融政策の立案・実施能力の開発支援(5)中小企業支援、貿易投資促進(6)低炭素社会の構築(7)人材育成、人的交流の促進――の7分野を提示する。

広域インフラ整備支援の具体案としては、インドのデリー―ムンバイの産業大動脈構想や、ベトナム・ホーチミンとインド・チェンナイ間の陸路の整備などで、海路で2週間かかる旅程を8日間に短縮する構想をあげる。

ASEANの相互緊急援助用の物資備蓄を支援するために約13億円(約1300万ドル)、災害時の情報通信システムの構築のために6億円(約600万ドル)の支援を表明する。

2012年4月17日火曜日

「党首脳会議」、「法案審議会」を設ける

民主党は8日、新政権発足後の党の最高意思決定機関として、鳩山代表や小沢幹事長ら主要幹部で構成する「党首脳会議」を設ける方針を固めた。党首脳会議では、国会対策や選挙対策など党運営に関するあらゆる課題について一元化して判断する。

現在、鳩山代表、岡田幹事長、小沢、菅両代表代行、輿石東参院議員会長の5人による「三役懇談会」が事実上の最高意思決定機関となっている。

これに対し、党首脳会議は代表、幹事長、政調会長(副総理兼国家戦略相)、参院議員会長、国会対策委員長の5人で発足する予定だ。鳩山代表が内定した人事に当てはめると、鳩山、小沢、菅、輿石の4氏に新たな国対委員長が加わる形となる。

週1回程度の定期開催とし、重要政策や選挙対策などについて協議する。ただ、現在検討されている案では、外相に内定している岡田幹事長が党首脳会議のメンバーから外れることになり、岡田氏を支持するグループの反発を招く可能性がある。

民主党はまた、政府提出法案に与党内の意見を反映させる場として、各省の副大臣が主催して与党議員と意見交換する「法案審議会」(仮称)を新設する方針を固めた。

政府の方針を副大臣が説明し、与党議員から修正点などの要望を聞く。各省の官僚も政府の一員として同席するが、与党議員の資料要求や質問に答えるのが主な役目で、政策判断はすべて国会議員が行うとしている。

2012年4月11日水曜日

戦略局は「国家戦略室」としてスタート

民主、社民、国民新の3党は8日夜、国会内で幹事長会談を開き、連立政権樹立に向けた調整を続けた。民主党は政権発足後に設ける党首級協議機関「基本政策に関する閣僚委員会」に、首相ではなく国家戦略局担当相が参加する原案を示した。

社民、国民新両党から強い異論は出なかったが、外交・安全保障政策を巡り社民党が日米地位協定の改定などを盛り込むよう求め、協議は難航。3党は9日に幹事長会談を再開し、まとまれば党首会談による最終合意を目指す。

8日夜の会談は、民主党の岡田克也、社民党の重野安正両幹事長と国民新党の亀井静香代表らが出席し、約2時間に及んだ。

閣僚委の原案として、社民、国民新両党から入閣する党首クラスと国家戦略局担当相をメンバーとする組織図を提示した。民主党は予算の骨格などを決める首相直属機関「国家戦略局」を新設する方針で、その担当相と副総理を兼ねる菅直人代表代行が党首級協議も担当することで、戦略局を中核とする政治主導の政策決定システムを印象づける狙いがある。

戦略局を設置するための関連法案が成立するまで当面、戦略局は「国家戦略室」としてスタートする。社民、国民新両党は両党のスタッフも戦略室に加えるよう求めたが、岡田氏は応じなかった。

2012年4月2日月曜日

公明党の存在感が失われた

公明党は8日、党本部で全国代表者会議を開き、衆院選惨敗に伴う太田代表の辞任を認め、新代表に参院議員の山口那津男政調会長(57)を選出した。任期は、太田氏の残任期間である来年秋の党大会まで。

会議では、北側幹事長の辞任に伴い、後任の幹事長に井上義久副代表(62)、政調会長に斉藤環境相(57)を新たに起用する人事も正式に発表され、新体制がスタートした。

山口氏は代表者会議で、「(衆院選で)党の独自性や公明党らしさを十分に発揮できなかった」と就任のあいさつを行った。民主党との関係については、「野党の立場から、言うべきことは言い、批判すべきことは批判する姿勢で臨む」と述べた。

全国代表者会議議長、北側氏は副代表に就任し、いずれも執行部に残留した。10月3日に全国県代表協議会を開き、衆院選敗北や、10年間に及んだ自公連立政権の総括を行う予定だ。

新旧の党幹部には、連立政権の評価を巡り、食い違いも出ている。山口氏の就任あいさつは、原案段階で「公明党の存在感が失われた」などと、マイナス面を強調する内容となっていた。しかし、太田氏が「表現がきつすぎる。連立の10年を否定するのはまずい」と待ったを掛け、厳しい文言が削られることになった。