2014年12月15日月曜日

アメリカでは老成には価値がない

アメリカは、いうまでもなく広告文明の高度に展開した社会だが、アメリカの広告ほど「あたらしさ」を強調する広告はない。洗剤であろうと、電気製品であろうと、とにかくあらゆる商品の広告文は、まず、大きな活宇で組まれたNEWということばではじまる。のれんの「古さ」を訴える広告などはアメリカの広告では、きわめて例外的なのである。

「若さ」「あたらしさ」への価値づけの例は、アメリカの風俗のなかに、いくつもみつけることができる。たとえば、老人の若づくり。服装だの動作だのの面で、アメリカの中年以上の男女は、日本の基準からみると気ちがい沙汰としかみえないような、若々しいふうをしている。肉体年齢は高くても、精神年齢は、若い。すくなくとも若くありたいとアメリカ人は願っている。アメリカでは老成には価値がない。つねに「若い」ことが価値なのである。

「若さ」にせよ「あたらしさ」にせよ、それは相対的なものだ。若ものは、じぶんを若いと思っていても、いつのまにか、じぶんより、さらに若い世代が育ってきていることに気がつく。ひとつひとつの年齢集団は、いわば、年長者の集団にむかって、「より若い」という価値を正面にすえた姿勢でそだってゆく。

多くの社会では、子どもや若ものは、おとなのようになりたい、と思う。しかし、アメリカでは、事態は逆である。おとなや年長者が、子どもや若もののようになりたいのだ。もちろん、アメリカの子どもも、おとなになりたいとは思うだろう。しかし、いま、じぶんが眼前にみているおとなのようになろうとは、これっぱかしも思わない。いまのおとなより、さらに「あたらしい」、別種のおとな像が子どもにとっての目標なのだ。あきらかに、アメリカ社会では、おとなのがわに、子どもにたいする一種のたじろぎがある。たくましく、着実にそだってくるつぎの世代に、おとなは圧倒されるのである。

公園で、親と子がわかれるのは、まさしくアメリカ社会での、このような年齢文化と関係する。親と子が、いっしょにひとつのベンチのまわりでサークルをつくるのは、フランスのように、伝統的価値の共有に確信のある社会、そのことは、それだけフランス文化の停滞性をも意味するのだが、アメリカのように、世代の交替がそのまま価値の変化を意味し、また社会変化を意味するようなところでは、親と子は、べつな社会的グループ、すなわち年齢カーストにぞくすることのほうが賢明なのである。子どもを、親のそばにひきつけておくことは、すくなくとも、子どもにとって幸福なことではない。だから、むしろ、親は、子どもを力づけ、子どもは同年齢の子どもどうしあそぶように仕向けるのだ。

2014年11月14日金曜日

日本における民事裁判の問題点

銀行の貸出秦議書についていえば、金融機関が適正な融資を確保するために当然に作成されており、監査とか検査とかでは見られるものなのです。当局の検査等の対象にもなっていて、所持者以外には見られないプうイベートな文書ではないのであって、まして第三者による利用が全く想定されていないような性質のものではないのです。

それを日本の最高裁は「民事訴訟では出さなくてもいい」というのですから、「監査や当局の検査では調べられるような書類も、民事訴訟では証拠として調べる必要がない」と最高裁は言っているに等しいのです。こういうことで泣かされるのは、責任追及の道が閉ざされた側=被害者(あるいは一般国民)であるということになります。

これでは、日本の民事裁判において、いつまでたっても証拠隠しの横行に歯止めはかかりません。せっかくの新民事訴訟法の定めも、まさに「絵に描いた餅」になってしまったかのようです。裁判においてさえそういうことでは、裁判外ではなおさらでしょう。

この問題については、裁判所の従前からの証拠提出に関する消極的な考え方や、役人たちが作った新民事訴訟法の条文の書きぶりなとがらすると、最高裁の判断も「伝統的な法解釈」のおり方としては誤りではないということになるのでしょう。

そもそも、新民事訴訟法ができる以前の法律では、証拠の提出を求めうる場合が限定的に定められており、その限定的な要件を満たさない限り証拠提出義務はない、という制度が長く続いていました。

あるいは、「勝つべき原告は、現在の手持ち証拠でも勝てるのが普通だから、現行法で不都合はない」という裁判官の意見もありました。これなどは、裁判官が実際の裁判結果が正しいと思いこんで何の疑問も持っていない証拠でした。

2014年10月14日火曜日

中英間で揺れる植民地

『香港領事動乱日誌上危機管理の原点』香港暴動とは、大陸のプロレタリア文化大革命に力を得た香港の左派勢力が大規模な反英・反政庁武装闘争を展開し、これに抗する香港警察・英軍との間で繰り返された衝突により多数の死傷者をだした一九六七年の事件のことである。香港を襲った第二次大戦後最大規模の騒擾であった。

北京は左派勢力の反英・反政庁闘争への全面的支持を表明し、香港への軍事的惘喝をつづけた。香港国境では中英間の銃撃戦さえおこった。海外移住者が続出し、地価・株価が暴落して香港は風前の灯火のごとくであった。中英の間で揺れる植民地のありようをシンボリックに示すものが香港暴動である。しかしこの重要事件について記述した文献はほとんどない。同時期に進行していた文革やベトナム戦争という巨大なドラマの陰に隠れて、世の関心を惹きつけることなく終わった事件であった。

著者はこの時期に危機管理担当の領事として香港に赴任し、在任中この事件に遭遇するという稀有の体験をもった。狼籍の限りを尽くす左派勢力に囲まれて不安と恐怖にうちふるえる三千人に近い在留邦人の保護の任務にあたり、この任をまっとうすべく足で集めた情報をもとに構成された本書の記述には迫力がこもっている。

私は知られざる香港暴動の真実を知りたくて本書を読んだのであるが、もちろん著者の関心は危機管理である。著者が日本の国家危機管理の第一線を担った剛毅の指導者であることは広く知られているが、香港暴動はその後の著者の思想と行動に大きな影響力を与える事件となった。香港暴動を最終的に収束させたものは英国政府と英海軍の屈することのない意思、機敏で迅速な軍事行動であった。このことを記す熱っぽい筆致の中に、国家危機管理に不誠実な対応しかできない日本の現状に対する著者のいらだちが読み取れる。

2014年9月13日土曜日

不適合上司への対処法

問題は、彼らがあなたの上司である場合だ。議論をゲーム感覚で行なうというのとも違う、絶対に譲らない印人上司に対しては、外資系では去るか越えるかの選択肢しかない。去るというのは、転職するという意味であり、越えるというのはこうした上司を上回るパワーを手にする、即ち反乱するということだ。前者は簡単だが、後者は難しい。自分ひとりで難しい上司を追い出したり、下克上することは得策ではない。衆を頼んで、総意として超アグレッシブ上司が組織に不適切である、不適合を起こしていることを在日外資系トップ及び本社の日本担当上級幹部に知らせる必要がある。

ここでは超アグレッシブな印人上司への対応法を述べているが、これはほかの外国人上司についても当てはまる。追い出すべき上司だと、あなただけでなく多くの職場の仲間が思った場合、やり方はいろいろある。効果的な手段は、本社に信頼されているほかの外国人幹部を使う方法だ。その幹部が追い出したい外国人幹部と対立している、あるいは仲が悪いと尚更好都合だ。ここまでゆくとマキャベリズム、陰謀の勧めとなってしまうが、あなただけでなく多くの社員の利益に適うことであると得心がゆくなら、相手が超アグレッシブな印人であれ、ほかの国籍であれ、職を賭して挑む価値があるかもしれない。

本節で述べているような印人が相手なら、論理の勝負だけでは埓が明かない。論理以外の視点を持ち込んで、相手の非を第三者に知らしめる必要がある。議論好きな人の弱みは、感情や情緒への共感に乏しいことである。この弱みを本社に、あるいは在日外資系トップに知らしめることで活路が拓けるかもしれない。さて、超アグレッシブな印人の不適合上司への対処法は分かったが、問題は、表面は穏やかだが譲らないタイプの人への対応法である。実は柔軟なのか、そうでないのかは、表面的な対応を見ているだけでは分から『ない。母国に住み、それなりの地位を獲得している印人の場合、この見極めが難しい。インド人との交渉がタフだと言われるのは、こうした点に由来する。

南アジアを本拠とする印人は、一一億人と言われるインド人、二億を超えているパキスタン人とバングラデシュ人、そのほかの周辺国の人口を合わせると一六億人とも一七億人とも言われ、既に華系人口を超えているかもしれない。そのような南アジアの人々のうち、エリート層は意外に多い。インドで二割いると言われる中流以上の人々が仮に南アジアのエリート層の代表と考えると、二億人もの南アジア系がビジネスの相手として浮かび上がってくる。このうち、本当のエリートが一割、二〇〇〇万人としても、日本の人口一億三〇〇〇万人と比べて少なくない。

超アグレッシブな印人が世界のどこで仕事をしようと、相手構わず、攻撃的であるのに対し、インド亜大陸や南アジアに住み、ビジネスに従事している印人は、カツカツと仕事をする必要に迫られていない。ビジネスができればよし、できなければそれもよし、と余裕があるので、日本人には融通無碍の対応が求められる。超アグレッシブな印人に対する攻撃的な対応とは違う、大人の対応が必要になるということだ。ある華人曰く、「華人は商売相手から身ぐるみを剥ぐといっても下着くらいは残す。しかし、印人はその下着まで取ってしまう」ほど、シビアな交渉を得意とする。非暴力のマハトマーガンジーや解脱を説いた仏教の始祖、釈迦を生んだ土地柄であっても、善意だけで交渉の成り立つ相手ではない。

2014年8月19日火曜日

乱世を生きのびるには

主導権をにぎれなければにぎっている国の後に従う、というのもバカ気だやり方で、それで得るのはさらなるカネを吸い上げられることでしかなく、こうなればおとなしい日本人も、株主代表訴訟に似た行為を国に対して起すかもしれない。援助外交と聴くと私は援助交際を思い出してしまうが、単なる売春を援助交際と言い換えたり、単なるバラ撒き外交を援助外交と言い換えたりすることによる目くらましに欺されている余裕は、もはやわれわれにはないのである。そして、大国でないがゆえに問題を討議するグループからさえもはじき出されている日本は、実効力のあるアイデアを主張しても他国が乗ってこないという場合に、これからはしばしば出会うようになると思う。だからと言って、手をこまねいていては影が薄くなる一方だ。

それで、というわけで提案なのだが、こうなっては腰を落ちつけて、日本人だけで解決できる問題に、われわれのエネルギーを集中してはどうであろうか。他国をないがしろにすることまではできないが、優先的に、ということならばできる。そしてそれは、経済力のさらなる向上、以外にはない。国家にとっての体力は経済力であるからで、経済と技術の向上となれば、日本人にとっては、「自分たちだけでやれること」になるからである。

主導権欲しさに悪あがきしても効果なしとは、安保理常任理事国入りの一件でわかった。援助外交も効果なしということも、三十年にわたる経験でわかった。この現状を外交の八方ふさがりと言うなら、八方ふさがりでいる間にせめて、体力の強化に活用してはどうだろう。日本をめぐるめぐらないにかかわらず、世界情勢の激動はちょっとやそっとでは収まらないのだから。それに、諸行は無常なのである。いつ、日本に出番がめぐってくるかわからないし、反対に当分の間は出番はめぐってこないかもしれない。ならばその間は腰を落ちつけて、意志があり努力する気さえあれば他国と相談しなくてもできること、つまり自分の国の経済力の向上、に専念してはどうだろう。

言ってみれば今度こそ、堂々とエコノミックアニマルをやるのである。国家の体力である経済力の向上のために必要とあれば、諸制度の改革も強行せねばならず、各種の公的半公的機関によるムダ使いを斬ることも避けては通れない。そして何よりも重要なのは、持てる資源を徹底して活用する冷徹な精神である。日本の資源と言えば、人材であることは言うまでもない。体力にさえ自信がつけば、何に対しても人間は、自信をもって対処できるようになってくるものですよ。

「乱世を生きのびるには」と題した前回では、今度こそ堂々とエコノミックアニマルをしようではないか、と提案した。外交は八方ふさがり、それでいて激変する一方の世界現状では、いたずらに友好国を求めて右往左往するよりも、自分たちだけでも達成可能なことに徹するほうが効率が良いと思うからである。そして、それはわれわれ日本人にとっては、経済力の確立と技術力の向上というわけだ。経済力は、国家にとっての体力でもあるのだから。

2014年7月23日水曜日

連立を解消する理由

たとえば、アメリカの国防費は、量的規模が異なるので直ちに比較できないとしても、九一年度予算で九・四%、九三年度から九五年度にかけて一・九%、三・六%、三・四%の連続削減である。社会党には、結果的に防衛予算は大幅削減ではなく、現状維持、ないし漸減路線を承認したことになる。なにより社会党には、政権参加後、防衛予算の大幅減を強く主張した形跡がない。こうして、橋本内閣が財政構造改革で打ち出した、九八年度以降、今後三年間の防衛予算は前年度並とするという方針を、閣外協力与党として社会党は支持するのである。

以上のように、経済問題では、両党の差は、連立を解消する理由になるといえるほど、大きくはなかった。もちろん、個々の政策では、総論賛成、各論反対の光景も見られたが、消費税の引き上げを、村山内閣が決断したとき、既に難関は突破されたのだった。ウルグアイーラウンドがその典型例であるように、歳出拡大で自民、社会両党の足並みが揃ったことも大きい。

本来あるべき姿として両党が考えていた青写真には、小さな政府を指向するような傾向もみられたが、以上のように、実際に展開された政策は、紛れもなく大きな政府指向であった。それに歯止めをかけようとしたのが、橋本首相であったが、志半ばで、政権の座をおりることになった。

九三年八月、細川内閣にはじまる連立政権の時代は、各政権の権力構造や理念・政策の問題もさることながら、いくつかの政策が形成され、実施される過程が注目された。第一に政治家、とりわけ首相のリーダーシップが議論され、第二には政官癒着などに代表される五五年体制下の不透明な政策過程と比較する意味で、透明性の確保、さらには官僚主導の政治を、どのように政治家の手に取旦戻すのかという点に、特に期待が高まった。

当事者である政治家、とりわけ非自民政権を構成した各政党は、その点の重要性を強調したし、批判の対象となった自民党も、政権に復帰したい執念と、野に下っていた約一〇ヶ月の学習で、当初は連立を組んだ社会党も驚くほどに、政策過程の透明性や民主的手続きにこだわりをみせた。それはまた非自民政権の政策決定の仕組みへの痛烈な批判でもあった。

2014年7月9日水曜日

異なる資本主義が競合する時代

東京・大阪の分散・地方田園都市の確立のための公共事業、税制等に裏打ちされた新しい国土計画が実現されれば、川勝のいうように日本が花のある庭園の島(Garden Islans)として「太平洋に浮かぶアルカディア(理想郷)」と呼ばれることも、また可能である。破壊を目的とした「改革」を進めるより、二十一世紀への「夢」を実現するための政策を、是非小渕政権には進めてもらいたいものである。

ハーバード大学からクリントン政権入りした政治学者グラハムーアリソン(ハーバード大・ケネディースクールのディーンから国防省の次官補)が、その名著『決定の本質』(Es-sence of Decisi)のなかで、キューバーミサイル危機の分析を通じて、ソ連が一枚岩であると想定するのは幻想である、と明快に指摘したのは一九七一年のことであった。

彼は、ソ連のいわゆるキューバ危機の間の行動が、ソ連全体を一枚岩の合理的主体と考えるモデル(第一モデル)では十分説明できず、組織のルーティーーンを中心に据えるモデル(第二モデル)と政府内の各組織の対立・競合関係を軸にするモデル(第三モデル)を考えることによって、うまくあとづけることを示したのであった。

「悪の帝国」と考えられていたソ連が、一枚岩であるというのは一般では常識化していたし、学界もまた、そうした常識を強く疑おうとしなかった当時、若きアリソンの分析は極めて画期的なものであり、『決定の本質』はまたたく間に政治学の古典の一つとなっていったのである。

それから二十年余、ソ連社会主義は崩壊し、世界は異なる資本主義が競合する時代に入ってきている。そして、アメリカがかつてソ連に対してもっていた一枚岩の幻想は、いまや日本に引き継がれているにもかかわらず、日本ではG・アリソンのように、まともにアメリカの意思決定プロセスを分析しようという学者は現れない。声が大きくなるのは、なぜか例によって、マスーメディアとそれにひきずられ、まともな研究もせずにアバウトなことをいい続けている学者や評論家達なのである。

2014年6月24日火曜日

政治家が恥を知らない

政治家は、普通の人ではないような気がする。彼らには、恥の意識などないのではあるまいか。嘘や稜滑などが恥の対象にならないことだけは間違いなさそうだ。タケシタナニガシなどは、嘘が表情に出る。ではなかろうかと考えている、だとか、すべきかなあと思っている、だとか、なになにだわな、だとか、真意をぼかす言葉を使い、情けない顔になる。あれは、恥を感じている表情ではなく、ただもう、追い詰められた者の困惑の表情である。

困惑の表情は見せても、恥とは無縁なのが政治家たちのようだ。ナカソネナニガシも、アベナニガシも、ワタナペナニガシも、みんな無恥の人のようだ。いや、もしかしたら、彼らは、私の想像の及ばぬようなことで、恥を感じているのかも知れない。だとすれば、それはどういうことなのだろうか?野党のナニガシたちも、私には無恥の人たちに見えるがどうなのだろうか。ヤノナニガシの自分を棚に上げたものの言いよう、だが恥じているようには見えぬ。

ドイナニガシはあんな気張った言い方をして、聞かされる方が恥ずかしい。彼女は、党の長というのは、気張ったものの言い方をしなきやいけないと思い込んでいるのかも知れないが、普通にしゃべればいいんだよ。あれじゃ、何か言ったとたんにもらしちゃうんじゃないかと、心配だわな。それでも、意味が明瞭であるだけ、タケシタナニガシよりはマシかも知れぬ。

けれども、政治家が恥を知らないのは、国民が恥を知らないからである。政治家が卑しいのは、国民が卑しいからである。その国の政治は、その国民の程度を越えるものではないと言うが、そうだと思う。恥の意識を取り戻さなければならぬ。と、しかし、私か言ってみても、何も変わりはしない。私は一人でそれをやるっきゃないわな。私か恥じるものは、何であろう?そう言えば、一昨年だったと思うが、ある雑誌に、″穴があったら入りたい″というテーマで随筆を書かされたことがあったっけ。

あの随筆にも私は、太宰治の〈恥の多い生涯を送って来ました。〉という「人間失格」の一行を引用したように思う。そして、恥にも、カツ丼のように、特上があり、上があり、並がある。そして、穴があったら入りたい例として披露できるのは、せいぜい。上々の恥までであって、特上なると、とても語れない。それは隠し通して、墓場にまで持って行くしかない。そう言って、思い出す。上や並の恥を、いくつか書いたのだ。

2014年6月10日火曜日

痛風発作が起こるメカニズム

尿酸は体内において一日七〇〇ミリグラムが産生され、このうち三分の二は腎臓から排泄されます。何らかの原因で尿酸産生か過剰になったり、腎臓からの尿酸の排泄が悪くなったりすると高尿酸血症が起こります。高尿酸血症は血清尿酸値七・〇以上と定義され、一般的には高尿酸血症が数年以上続くと痛風発作が起こります。血清尿酸値が九・○以上では九〇%以上に痛風発作が起こります。

尿酸は体内でプリン体という物質から作られます。このプリン体は、DNAを構成する核酸やアデノシンー31リン酸(ATP)という体内のエネルギー源から作られます。食物にもプリン体は含まれますが、実際は、食物由来のものは一部にすぎません。肥満、食べ過ぎ、飲酒、激しい運動などは、尿酸産生を増加させたり、排泄の低下につながります。その結果、尿酸値が上昇します。痛風患者の生活を調査しますと、大食、過度の飲酒、激しい運動を好む傾向が明らかにあり、血清尿酸値を上昇させるような生活パターンであることが指摘されています。

痛風の薬物治療は、痛風発作の治療と高尿酸血症の治療に分けて考えることが出来ます。痛風発作に対しては消炎鎮痛剤を主体とした治療を行います。しかし、高尿酸血症を改善させなければ、再発作、あるいは内臓障害が起こります。このため、生涯を通じて高尿酸血症をコントロールしていく必要があります。痛風発作があった人は、体内の尿酸のプールが増大しているので、原則として薬物による治療が必要となります。尿酸コントロール薬には、尿酸排泄促進薬(商品名ユリノーム)と尿酸合成阻害薬(商品名ザイロリック)があり、高尿酸血症のタイプや合併症などを考慮して選択されます。

痛風の背景は高尿酸血症ですから、日常生活において、血清尿酸値を上昇させる要因を努めて避けることが高尿酸血症、さらには痛風の予防につながります。具体的には、総カロリー制限、アルコール飲料の制限、プリン体制限、アルカリ性食品の摂取、水分の摂取、適度の運動、精神的ストレスの解消、などをあげることができます。

体内で作られる尿酸のなかで、食物中のプリン体に由来するものはごく一部です。したがって、プリン体の制限を中心とする食事内容の改善では高尿酸血症の予防効果は弱いと考えられています。最近、いわゆる中年太りが血清尿酸値を上昇させることや、若年発症の痛風患者ほどエネルギー摂取量が多いことが明らかになっています。

2014年5月23日金曜日

多変量解析

ソーターという機械は、一回に単一の変数の数値の分布しかすることができない。特定の大統領候補に対する支持という変数が、カードの第二〇行に入っているとするなら、一組二八七一枚のカードを一回機械にかけると、そのパンチに従ったポケットにカードが分類される。つまりソーターは、単変量解析の機械だったのである。大統領候補の支持率を従属変数(結果)とし、性別という変数を独立変数(原因)として二つの変数間の関係の解析つまり二変量解析(bivanate analysis)を行いたいと考えたとする。その場合は、ソーターのそれぞれのボックスに落ちたカードの山を一組として、同じ過程を、繰り返していかなければならない。

最初のカードの山は第一回の支持率に関する分類で、「支持」と「不支持」の二つの山に分かれたとする。第二回目の性別という変数に関する分類ではこの二つのカードの山を、それぞれ「男性と女性」の山に分ける。そして出来上ったABCDという、四つのカードの山の実数を、図の下に書かれた表にまとめる。こういう形で、記述的な単変量解析を二回重ねることによって、われわれは説明的な二変量解析に進んでいくのである。あのソーターによる解析は悪夢のような作業であった。しかし深夜のリサーチーセンターの機械室で、私たちは何度もカードを破りながら、サーヴェイーリサーチの論理を学んでいったのであった。それはいわば数量というものの扱い方を、手の作業を通じて覚えて行く過程であった。

さて私はあのソーターによる実習でサーヴェイーリサーチの論理を学んだといった。しかしサーヴェイーリサーチの本格的な論理は、図で示した二変量解析に、もう一つ変数を加えたところから、つまり三つ以上の変数を使用した多変量解析(multivariate analysis)の段階から始まるのである。それはどういうわけであろうか。

今、因果法則を支える三つの基本的原則を考えてみるとそれは田従属変数(結果)に対する、① 独立変数(原因)の先行、② 両変数の共変、それに、③ その他の変数の統制という、三つの条件であった。そしてこの三つの条件のうち、もっとも困難と思われる第三の条件、つまり「その他の変数の統制」は、前章で述べたように、実験的方法においては、変数の状況的操作によって解決されたのであった。つまり独立変数の影響におかれる実験群に加えて、独立変数の影響のない統制群を設定することによって、解決されたのであった。

このように実験的方法においては、研究者が実験群と統制群とを無作為に抽出するというような、状況の統制、あるいは操作を行うことかできた。しかしデータをコンピュータ化したサーヴェイーリサーチの方法では、現実の状況を操作することはできない。そこで現実を操作する代りに、この方法は数学的操作の方法を使用して、独立変数以外の第三の変数群を、統制しようとするのである。このような統制を加えない限り、第三の変数によって、従属変数が影響を受けている可能性を除去することはできない。

2014年5月2日金曜日

雲南地区の戦い

先月の末、九州の大村と福岡へ行って来た。一九八一年(昭和五十六年)以来、私は、私の戦争長篇小説三部作と称して、龍兵団、勇兵団、菊兵団の、中国雲南省、北ビルマの戦いを扱った小説を書き、今年二月に連載を終えた。そのための最後の取材旅行に行って来た。連載が終わった後に取材旅行に行ったというのは、自分の書いたものが間違っていないかどうか確かめたかったからである。間違いがあれば、直して単行本にしなければならない。架空の部隊や架空の戦場を書いたのではない、どこで、どこの部隊が、どんな戦闘をしたか、戦史として読む読者にも応えなければならない。

その日、その時間、その場所での戦闘は、一つしかない。その部隊は決まっており、その隊の指揮官は明らかである。中隊長、人隊長、師団長、軍司令官、それぞれ、明らかである。一人しかいない明らかな人を架空の人物としては書けない。パロディにすれば、乃木大将であれ東条大将であれ、実物をどんな人物にでも変えられようが、私にパロディを書く気はない。

小説だから架空の人物を登場させたいが、架空ではない戦争を扱った小説では、無名の下級兵士でなければ、架空の人物は登場させられない。だからというより、私は下級兵士の立場で戦争を語りたいので、私の戦争小説の主人公は、いつもド級兵士である。私は、中国雲南省で全滅した騰越守備隊を扱ったものを「断作戦」と題して第一部とし、同じ雲南省の龍陵の攻防を書いた「龍陵会戦」を第二部としたが、「断作戦」と「龍陵会戦」とは、連載を始めて完結するまで、合わせて四年半ぐらいしかかかっていない。ところが、第三部の「フーコン戦記」を書き終えるのに、それから十三年半かかった。

私は、雲南地区の戦いには参加しているので、二部までは書きやすかったのであろう。北ビルマのフーコンには行っていないので、推理や創造で書かなければならない部分が、より多く、それで手間どったのだろう。本や写真を集め、生還者の手記を読み、話を聴いても、書くことに自信を失いがちで、だから、推理や想像の当否を確かめに、連載が終わってからも、話を聞きに行ったりするのである。

だからといって、雲南だけで戦争長篇を終えることはできなかった。ビルマの戦い、というと、インパールばかりが大きく報じられているが、昭和十九年、日本軍はそれだけの戦力もないのに、インパールの占領を夢想し、米英支連合軍は、インパールでは日本軍の自滅を予見し、雲南、フーコンをビルマ反攻の主戦場とした。日本軍には戦力もない上に、その連合軍の意図に対応する知恵もなかった。ところで、龍は第五十六師団、勇は第二師団、菊は第十八師団の防諜号である。防諜のためだといって旧軍隊には、そのような呼称がついていて、老人たちは懐かしさを感じながらも今も口にしている。たが、若者たちはこんな言葉を聞くと、むしろ、あの戦争が遠くなるのではないか。

2014年4月17日木曜日

公園内の施設面積の制限

それに比べると、たしかに横浜公園は、小さいながらもすでに球場は永年にわたって存在している場所であり、周辺に緑地や空地もあり、国鉄関内駅からは目のまえといった至近距離にある。周辺に住宅はほとんどないから、ナイター照明の問題も少ない。また、アマチュア用の野球場といっても、これまたほかに場所は求めにくい。するとやっぱり横浜公園の野球場の建替えへと傾くが、さきほどのような難点があって踏み切れず、市長のラッパだけで推移していたのである。

昭和五一年春、膠着した事情がまた動きだした。まったく別途な線から、横浜公園のプロ野球場建設に強い興味が示されてきたのである。一番の難問であった公園内の施設面積の制限も、設計方法を工夫して面積を食わないようにすれば、たんとかぎりぎりに納まりそうだという可能性もでてきた。資金も、株式会社を設立して、民間方式にしてはという案がだされた。それなら市財政にも負担をかけなくてすむ。市長はこうした線に乗って動きだそうとしている。

ここまでくると、七〇%の可能性が生まれてきた。市長の執念もあり、他にも適地のえられる可能性がないとするなら、このあたりで踏み切ってみてもよいのではないか。アマチュア野球場も片づけなければならないし、たにしろ横浜公園は、もともと野球発祥の地なのだから、ここを野球場にすることには意味がある。また野球反対者に対しては野球だけに限定せず、多目的スタジアムとして、使用できるようにすればよい。

ところが市の内部はたいへんであった。「お前は野球場建設に反対していたはずなのに、いつ市長側に変心したのか」「プロ野球などは市が取り組む仕事ではないし、市長にやらせたくない」「横浜の主体性がなく、外部資本にふりまわされてしまうのではないか」などと、反対論がしきりであった。日ごろは私と親しかった市の幹部だちと大声をあげて口論するという一幕もあった。

もともと私は絶対反対というのではなく、他のあらゆる可能性のなかで総合的に考えていたつもりである。他に方法がなければ、ここでやるのもしかたないではないか。市長のあれだけの熱意も無にできない。すでに述べたように、現代の大衆社会のなかでプロ野球も無視できない市民的存在である。それに横浜の主体性がなくなるかどうかは、これからの市の対応の仕方による。