2014年6月24日火曜日

政治家が恥を知らない

政治家は、普通の人ではないような気がする。彼らには、恥の意識などないのではあるまいか。嘘や稜滑などが恥の対象にならないことだけは間違いなさそうだ。タケシタナニガシなどは、嘘が表情に出る。ではなかろうかと考えている、だとか、すべきかなあと思っている、だとか、なになにだわな、だとか、真意をぼかす言葉を使い、情けない顔になる。あれは、恥を感じている表情ではなく、ただもう、追い詰められた者の困惑の表情である。

困惑の表情は見せても、恥とは無縁なのが政治家たちのようだ。ナカソネナニガシも、アベナニガシも、ワタナペナニガシも、みんな無恥の人のようだ。いや、もしかしたら、彼らは、私の想像の及ばぬようなことで、恥を感じているのかも知れない。だとすれば、それはどういうことなのだろうか?野党のナニガシたちも、私には無恥の人たちに見えるがどうなのだろうか。ヤノナニガシの自分を棚に上げたものの言いよう、だが恥じているようには見えぬ。

ドイナニガシはあんな気張った言い方をして、聞かされる方が恥ずかしい。彼女は、党の長というのは、気張ったものの言い方をしなきやいけないと思い込んでいるのかも知れないが、普通にしゃべればいいんだよ。あれじゃ、何か言ったとたんにもらしちゃうんじゃないかと、心配だわな。それでも、意味が明瞭であるだけ、タケシタナニガシよりはマシかも知れぬ。

けれども、政治家が恥を知らないのは、国民が恥を知らないからである。政治家が卑しいのは、国民が卑しいからである。その国の政治は、その国民の程度を越えるものではないと言うが、そうだと思う。恥の意識を取り戻さなければならぬ。と、しかし、私か言ってみても、何も変わりはしない。私は一人でそれをやるっきゃないわな。私か恥じるものは、何であろう?そう言えば、一昨年だったと思うが、ある雑誌に、″穴があったら入りたい″というテーマで随筆を書かされたことがあったっけ。

あの随筆にも私は、太宰治の〈恥の多い生涯を送って来ました。〉という「人間失格」の一行を引用したように思う。そして、恥にも、カツ丼のように、特上があり、上があり、並がある。そして、穴があったら入りたい例として披露できるのは、せいぜい。上々の恥までであって、特上なると、とても語れない。それは隠し通して、墓場にまで持って行くしかない。そう言って、思い出す。上や並の恥を、いくつか書いたのだ。