2014年7月9日水曜日

異なる資本主義が競合する時代

東京・大阪の分散・地方田園都市の確立のための公共事業、税制等に裏打ちされた新しい国土計画が実現されれば、川勝のいうように日本が花のある庭園の島(Garden Islans)として「太平洋に浮かぶアルカディア(理想郷)」と呼ばれることも、また可能である。破壊を目的とした「改革」を進めるより、二十一世紀への「夢」を実現するための政策を、是非小渕政権には進めてもらいたいものである。

ハーバード大学からクリントン政権入りした政治学者グラハムーアリソン(ハーバード大・ケネディースクールのディーンから国防省の次官補)が、その名著『決定の本質』(Es-sence of Decisi)のなかで、キューバーミサイル危機の分析を通じて、ソ連が一枚岩であると想定するのは幻想である、と明快に指摘したのは一九七一年のことであった。

彼は、ソ連のいわゆるキューバ危機の間の行動が、ソ連全体を一枚岩の合理的主体と考えるモデル(第一モデル)では十分説明できず、組織のルーティーーンを中心に据えるモデル(第二モデル)と政府内の各組織の対立・競合関係を軸にするモデル(第三モデル)を考えることによって、うまくあとづけることを示したのであった。

「悪の帝国」と考えられていたソ連が、一枚岩であるというのは一般では常識化していたし、学界もまた、そうした常識を強く疑おうとしなかった当時、若きアリソンの分析は極めて画期的なものであり、『決定の本質』はまたたく間に政治学の古典の一つとなっていったのである。

それから二十年余、ソ連社会主義は崩壊し、世界は異なる資本主義が競合する時代に入ってきている。そして、アメリカがかつてソ連に対してもっていた一枚岩の幻想は、いまや日本に引き継がれているにもかかわらず、日本ではG・アリソンのように、まともにアメリカの意思決定プロセスを分析しようという学者は現れない。声が大きくなるのは、なぜか例によって、マスーメディアとそれにひきずられ、まともな研究もせずにアバウトなことをいい続けている学者や評論家達なのである。