2014年7月23日水曜日

連立を解消する理由

たとえば、アメリカの国防費は、量的規模が異なるので直ちに比較できないとしても、九一年度予算で九・四%、九三年度から九五年度にかけて一・九%、三・六%、三・四%の連続削減である。社会党には、結果的に防衛予算は大幅削減ではなく、現状維持、ないし漸減路線を承認したことになる。なにより社会党には、政権参加後、防衛予算の大幅減を強く主張した形跡がない。こうして、橋本内閣が財政構造改革で打ち出した、九八年度以降、今後三年間の防衛予算は前年度並とするという方針を、閣外協力与党として社会党は支持するのである。

以上のように、経済問題では、両党の差は、連立を解消する理由になるといえるほど、大きくはなかった。もちろん、個々の政策では、総論賛成、各論反対の光景も見られたが、消費税の引き上げを、村山内閣が決断したとき、既に難関は突破されたのだった。ウルグアイーラウンドがその典型例であるように、歳出拡大で自民、社会両党の足並みが揃ったことも大きい。

本来あるべき姿として両党が考えていた青写真には、小さな政府を指向するような傾向もみられたが、以上のように、実際に展開された政策は、紛れもなく大きな政府指向であった。それに歯止めをかけようとしたのが、橋本首相であったが、志半ばで、政権の座をおりることになった。

九三年八月、細川内閣にはじまる連立政権の時代は、各政権の権力構造や理念・政策の問題もさることながら、いくつかの政策が形成され、実施される過程が注目された。第一に政治家、とりわけ首相のリーダーシップが議論され、第二には政官癒着などに代表される五五年体制下の不透明な政策過程と比較する意味で、透明性の確保、さらには官僚主導の政治を、どのように政治家の手に取旦戻すのかという点に、特に期待が高まった。

当事者である政治家、とりわけ非自民政権を構成した各政党は、その点の重要性を強調したし、批判の対象となった自民党も、政権に復帰したい執念と、野に下っていた約一〇ヶ月の学習で、当初は連立を組んだ社会党も驚くほどに、政策過程の透明性や民主的手続きにこだわりをみせた。それはまた非自民政権の政策決定の仕組みへの痛烈な批判でもあった。