2013年7月5日金曜日

奇跡といえる点はない

ここ数年、アメリカの生産性の伸びが少なくとも緩やかに上昇していることが、はっきりと確認されるようになっており、この点を考慮すれば、今後、日本の生産性がアメリカに近づくとしても、亀の歩み程度のペースになるといえよう。むしろ、日本が一人当たり所得で永遠にアメリカに追いつけない可能性すらある。要するに、日本経済は一部で考えられているほど、特別の能力を備えているわけでも、例外的な存在でもない。そして、日本と他のアジア諸国の経済発展の間には、一般に思われているほど共通点があるわけではない。

世界経済の命運がアジアにかかっているという常識に異議を唱える場合、中国を引き合いにして反論されたら、日本のケースよりも論駁がむずかしい。中国はいまはまだ貧しいが、膨大な人口を抱えており、生産性が先進国の水準に少しでも近づけば、経済大国になる。さらに、日本と違って中国は近年、急成長をとげている。それでは、今後の見通しはどうだろうか。中国の急成長の要因を分析することは、技術的な問題と考え方の問題からむずかしい。技術的な問題についていえば、中国が急成長していることは事実だが、中国の統計はきわめて信頼性が低い。最近、明らかになったところによれば、外国投資に関する政府統計は実際の六倍の水準にもなっていた。

これは、政府が外国企業に対して実施している税制、規制面の優遇措置を逆手にとり、国内起業家が架空の外国企業を資本提携先としたり、海外のダミー会社を経由させたためである。中国社会が活力に満ちているとはいえ、こうした不正がまかり通っているようでは、他の統計もとても信頼する気にはなれない。考え方の問題についていえば、どの年を基準年にとるべきか、むずかしいところである。市場経済への移行が始まった年(見方によるが一九七八年)を基準年にとれば、中国の経済成長が効率性の大幅な向上と投入の急速な増加によるものであることは、まず疑う余地はない。しかし、毛沢東政権末期の混乱から立ち直った時期に、効率性が大幅に回復したのは、当然のことである。一方、文化大革命以前の年(たとえば六四年)を基準年にとれば、東アジアの新興工業国と似たような結果になる。

つまり、効率性の向上はわずかであり、投入主導型の経済成長ということになる。しかし、これもまた、かたよった見方である。社会主義市場経済に移行してからの効率性の伸びが大きくても、文革期の落ち込みのために、全体とすれば効率性の伸びが小さくなるからだ。そこで、二つの見方の中間をとるのがよいだろう。市場経済化以降の効率性の伸びのうち、一部(全部ではない)は  一回かぎりの回復で、残りが持続可能な傾向である。中国の成長率が少し鈍化するだけでも、地政学的な見通しは大きく変わる。世界銀行の推計によれば、現在、中国の経済規模はアメリカの約四〇パーセントである。アメリカが今後も年率二・五パーセントの成長率を維持するとしよう。中国が同一〇パーセントの成長率を維持することができれば、二〇一〇年には経済規模でアメリカを三分の一上回る。

しかし、中国の成長率が、現実的な見通しである年率七八Iセントにとどまれば、アメリカの八二パーセントになるにすぎない。それでも、世界経済の重心はかなり移動するが、現在、一般に考えられているほど、大幅に移動することはないだろう。東アジアの新興工業国の急成長は、経済政策と地政学についての常識に大きな影響をあたえている。グローバル経済を論じる識者の多く、おそらくほとんどは、東アジア諸国の成功から三つの結論を導いている。第一に、技術の普及が世界規模で進んでおり、欧米諸国は従来の優位を失いつつある。第二に、その結果、世界経済の重心が太平洋西岸のアジア諸国に移動する。第三に、おそらく少数意見であろうが、欧米諸国で受け入れられる以上に市民的自由を制限し計画の要素を取り入れた経済システムの方が優れており、その証拠にアジア諸国が成功している。