伝統型学生が十分に得られなくなれば、大学の空席を埋めるために、これまで未開拓の成人やマイノリティ層を新しい顧客として発掘せざるを得なくなる。そこでこうした非伝統型学生を標的にして、夜間、週末、昼休み、さらには通勤時間の電車内などに授業を開講し、成人の要求や都合に合わせたプログラムに改変する大学が現れるようになった。これらは開講する時間帯によってイヴニングーカレッジ、ランチタイムーカレッジ、ウィークエンドーカレッジなどと呼ばれている。
例えばウィークエンドーカレッジでは隔週ごとに金曜日の夜から土曜日の夜にかけて授業が行なわれ、学生は週末を大学の寄宿舎に泊まったりして学習し、モの結果履修した単位は累積加算される。社会人の場合には生活・就職上の経験が一定の基準で単位として認められるように配慮されている。また通勤列車の車両を借り切って、毎朝の通勤時間に車内でサラリーマン対象の授業を開設している大学もある(日本にも最近JRで通勤電車内の英会話教室が出現した)。
ところでここで是非とも紹介しておきたいことは、高等教育の行方を占うのにあたって、カーネギー審議会がとった未来予測の手法である。すなわち、カーネギー審議会は一九八〇年代初頭から九〇年代半ばにかけてアメリカ高等教育にどのような変化が生ずるかを、明暗の両面にわたって予想している。
まず、暗い予想(悲観的予測)をとるとすれば、次のような事態が生じるだろうとしている。
・青年人口の減少と大卒雇用市場の悪化により学生在籍者数は現状より四〇~五〇パーセントも減少する。
・高等教育への公費財源の入手難とインフレの進行とによって高等教育の学費が高騰し、そのことが学生層の減少にいっそう拍車をかける。
・大学間の学生獲得競争が激化し、誇大宣伝、安売り単位、成績インフレ、手軽で人気のあるソフトな授業科目の増設といったことが盛んになり、それによって高等教育に対する国民の信頼が傷つけられ、政府の規制が強化される。
・大学経営が困難になると大学経営に関わろうとする管理者が少なくなり、その質も低下する。
・買手市場のため大学が学生を選ぶのではなくて学生が大学を選ぶようになり、そうした学生の動向が大学のアカデミックースタソダードや大学の質の低下を招くような方向に働く。学生のカウンター・カルチュアが大学人のハイーカルチュアを圧倒するようになる。
・学生数の減少にともなって政府の大学への介入の度合いが強まる。
・私学は高い授業料で公立に対抗できなくなり、私学セクターが衰え、(私学が政府の援助に頼らざるをえなくなるため)私学の半公立化傾向が進む。
・自己の将来の方向を決める上での高等教育機関の主導権が弱くなる。
・大学内では若手研究者が雇用されず研究者の高齢化によって生産性が落ちるため、研究が不振となる。
・万人が万人の敵となり、官僚化が進み、すべての高等教育機関の活力が低下する。
・大学の管理運営は協調の精神から競争と相互不信の方向に展開される。
・電子革命の発達は従来の大学の授業をますます陳腐化させ、大学は新技術の導入に抵抗し保守化する。
2013年12月25日水曜日
2013年11月7日木曜日
経済成長とナショナリズム運動の拡大
彼らの活動がこれだけ大きな潮流となり、多くの支持を受けている背景には、現代インド社会の抱える苦悩かあるはずである。伝統的な共同体か崩壊し、確固たる自己アイデンティティが持てず、街には物質的欲求をくすぐるさまざまなモノが溢れかえる現代社会で、A君のように、新たに自己存在のあり方を問い、ダルマの回復を希求する宗教復興的な心性か高まっているのは確かである。それか、ヒンドゥー・ナショナリズムという政治的運動に多くの部分で回収され、さまざまな問題を引き起こしている。A君と話した晩、みんなか寝静まっても私は眠れなかった。A君の抱える問題と私自身の問いか重なったからである。
私が大学に入学したのは一九九四年である。翌年、オウム真理教の地下鉄サリン事件か起こった。現代社会のあり方に疑問をもち、自己の存在のあり方を懸命に問う若者だちかあのような凄惨な事件を起こした。一方で、社会学者の宮台真司は、彼らの一世代下の私たちを「まったり世代」と称して賞賛した。生きる意味などを問わず、その時々の楽しさという「強度」を求めて「終わりなき日常」を生きてゆく。それこそが成熟した近代社会の生き方である。そう彼は主張していた。「なるほど」と正直思った。しかし、強烈な違和感も同時におぼえた。「信仰かあるからこそ、終わりなき日常を生きてゆけるのではないのか?」そう思った。
また、同時に保守派による戦後民主主義批判が大きな流れになっていた。その議論に、私は強くひかれた。しかし、彼らが振りかざす「公の精神」という観念に強い疑問を感じた。「結局のところ公と私を二分化する近代主義者なのではないか?」と思った。小林よしのりは、『戦争論』や『ゴーマニズム宣言』などの一連の著作の中で「公」の精神の重要性を強く説いている。そして、一方で「私」の領域では非常にふしだらな行為を行なっていることを激白している。公の領域では立派な日本人を演じる反面、私の領域においては何をやってもよい。これを読んですぐにマックスーウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の最後のくだりを思い出した。ウェーバーは、世俗化し合理性や効率性のみを追求する近代社会か「精神なき専門人」と「心情なき享楽人」という二分的な人間を作り上げてしまったことに、強い警告を発していた。「信仰を失った保守主義者は単なる近代主義者なのではないか?」と強く思った。
私には現代日本の出口が全く見えなかった。私は日本社会か歴史的に蓄積してきた宗教的伝統を見つめなおしたかった。しかし、そのような意識は、ともすると信仰なき近代的保守主義者のイデオロギー的なナショナリズムに回収されてしまう。かといってカルト的な宗教には惹かれない。ポストモダユズムは「脱構築」を目指すばかりで、あるべき価値を語ろうとしない。価値を語ることの権力性ばかりを強調する。うんざりである。私は悶えていた。だからこそA君の話を重く感じた。現代インドの抱える問題と私の問いはつなかっている。地続きである。そんなことを、かすかに月明かりがもれる窓を眺めながら感じた。
悶えるインド、悶える日本、そして悶える私。この日から、私のヒンドゥー・ナショナリストとの本当の意味での格闘か始まった。インドは九〇年代初頭の経済の自由化とともに、急激な経済成長を遂げてきた。外国企業は、一〇億人の大国インドの巨大な市場の潜在性に目をつけ、次々と進出してきた。このような過程で、IT産業の分野では、インドは世界的に重要な拠点となり、現在では多くの有能な技術者を輩出しつづけている。「IT大国・インド」の誕生である。また、そのような経済発展に伴い、都市におけるインド人のライフスタイルも急速に変化してきた。街にはジーンズとTシャツを身に着けた「洗練された」若者達が溢れ、アメリカンスタイルのハンバーガーショップやコーヒーショップを、彼らが埋め尽くしている。世界的なブランドショップも次々とオープンし、どこも概ね盛況である。
私が大学に入学したのは一九九四年である。翌年、オウム真理教の地下鉄サリン事件か起こった。現代社会のあり方に疑問をもち、自己の存在のあり方を懸命に問う若者だちかあのような凄惨な事件を起こした。一方で、社会学者の宮台真司は、彼らの一世代下の私たちを「まったり世代」と称して賞賛した。生きる意味などを問わず、その時々の楽しさという「強度」を求めて「終わりなき日常」を生きてゆく。それこそが成熟した近代社会の生き方である。そう彼は主張していた。「なるほど」と正直思った。しかし、強烈な違和感も同時におぼえた。「信仰かあるからこそ、終わりなき日常を生きてゆけるのではないのか?」そう思った。
また、同時に保守派による戦後民主主義批判が大きな流れになっていた。その議論に、私は強くひかれた。しかし、彼らが振りかざす「公の精神」という観念に強い疑問を感じた。「結局のところ公と私を二分化する近代主義者なのではないか?」と思った。小林よしのりは、『戦争論』や『ゴーマニズム宣言』などの一連の著作の中で「公」の精神の重要性を強く説いている。そして、一方で「私」の領域では非常にふしだらな行為を行なっていることを激白している。公の領域では立派な日本人を演じる反面、私の領域においては何をやってもよい。これを読んですぐにマックスーウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の最後のくだりを思い出した。ウェーバーは、世俗化し合理性や効率性のみを追求する近代社会か「精神なき専門人」と「心情なき享楽人」という二分的な人間を作り上げてしまったことに、強い警告を発していた。「信仰を失った保守主義者は単なる近代主義者なのではないか?」と強く思った。
私には現代日本の出口が全く見えなかった。私は日本社会か歴史的に蓄積してきた宗教的伝統を見つめなおしたかった。しかし、そのような意識は、ともすると信仰なき近代的保守主義者のイデオロギー的なナショナリズムに回収されてしまう。かといってカルト的な宗教には惹かれない。ポストモダユズムは「脱構築」を目指すばかりで、あるべき価値を語ろうとしない。価値を語ることの権力性ばかりを強調する。うんざりである。私は悶えていた。だからこそA君の話を重く感じた。現代インドの抱える問題と私の問いはつなかっている。地続きである。そんなことを、かすかに月明かりがもれる窓を眺めながら感じた。
悶えるインド、悶える日本、そして悶える私。この日から、私のヒンドゥー・ナショナリストとの本当の意味での格闘か始まった。インドは九〇年代初頭の経済の自由化とともに、急激な経済成長を遂げてきた。外国企業は、一〇億人の大国インドの巨大な市場の潜在性に目をつけ、次々と進出してきた。このような過程で、IT産業の分野では、インドは世界的に重要な拠点となり、現在では多くの有能な技術者を輩出しつづけている。「IT大国・インド」の誕生である。また、そのような経済発展に伴い、都市におけるインド人のライフスタイルも急速に変化してきた。街にはジーンズとTシャツを身に着けた「洗練された」若者達が溢れ、アメリカンスタイルのハンバーガーショップやコーヒーショップを、彼らが埋め尽くしている。世界的なブランドショップも次々とオープンし、どこも概ね盛況である。
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