2015年4月14日火曜日

平成の高齢化社会

高野医師は、そのことを思い出し、紙芝居には人間の脳を総合的に刺激する効果があるのではないかと考えたのである。スタッフ会議で、治療に紙芝居を使うことを提案すると、スタッフからは「患者さんが参加できるようにするといい」という声が上がった。スタッフは早速、患者さんたちに聞き取りを始める。「軍隊に入って、新兵から手柄を立てた。記憶にあるのはのらくろ」鈴木太助さん(仮名・八二歳)「黄金バットー やっていましたね」米山徹さん(仮名・九一歳)「紙芝居と言えば、アメだよね」五島妙子さん(仮名・八七歳)高野医師は、紙芝居を求めて、東京・神保町の古本屋を回ったが、そこでは手に入れられなかった。しばらくして、インターネットを通じて、「黄金バット」の紙芝居を持っている人が見つかり、譲ってもらうことができた。届いた紙芝居の絵は、思っ たより迫力がある。高野医師は「ちょっと怖い感じもするなあ。昔のことを思い出して頂くだけでなく、コミュニケーションのツールとして使いたい」と話していた。

ただ紙芝居を見せるだけではなく、患者さんたちに関わってもらいたい。スタッフは、五島さんには拍子木を叩いてもらうことにした。米山さんには、太鼓をお願いする。二人で合わせるための練習もした。いよいよ紙芝居の当日、患者さんたちが「思い出ミュージアム」に集まった。五島さんの拍子木と米山さんの太鼓を合図に、自転車に乗った紙芝居のおじさんが登場。まずは、べっこう飴が配られる。紙芝居が始まれば、患者さんたちは子供の時と同じように見入った。

「破壊光線さえ手に入れば、世界は私のものだ。ハッ、ハッ、ハッ、ハー」黄金バットが終わった後、患者さんたちの表情が楽しげだった。紙芝居は、みんなの記憶を相当刺激したようだ。高野医師は、さらに思い出を刺激する治療を開発してゆくつもりである。こうした回想療法を認知症の治療だけでなく、予防にも活用しようという動きが出始めていた。愛知県北名古屋市では、全国でも珍しい地域での回想療法による「介護予防事業」が行われている。ある日、古い民家に、高齢者たちが続々と集まってきた。名古屋近郊でひな祭りの時によく作られていた「おこしもち」を作る催しが開かれるのである。三〇年ほど前からは、家庭ではほとんど作られなくなったという。

参加者の一人は「小学生の頃は毎年、家中で作ってお飾りにしたものでした。私のところは一〇人兄弟で大変だった。なつかしい」と話す。別の参加者は「この古い家が、子供の頃の家の雰囲気とよく似ている。今住んでいるのは新しい家で。ここに来ると、家に帰ってきたみたいで心も落ち着くし、昔のことも思い出す」と語った。昔懐かしい場所で、昔懐かしい行事を再体験することで、認知症を予防しようというのだ。平成の高齢化社会を「昭和の記憶」が救うかもしれない。

東京・新宿の高層ビルが立ち並ぶすぐ近くに、巨大な集合住宅がある。都営戸山団地。一九五〇年に建設され、今なお二〇〇〇世帯が暮らす。当時は「憧れの住宅」だったが、六〇年近くが経ち、この団地も高齢化の波に襲われていた。建設当時から住み続けている山ロクスエさん(八五歳)は、二人の子供が独立し、夫も一〇年前に亡くなったため、今では一人ぼっちで暮らしている。「お隣さんとも顔を合わせない日が多い。いずれは孤独死がやってくると思う。一人暮らしをしているから」