2015年12月14日月曜日

裁判におけるアメリカンスタンダード

これは誰が悪いかというと、証拠を潔く出さない相手だけが悪いわけではないのです。私も被告の代理人であれば、出す義務もない証拠を出したりはしません。依頼者の手前、そうしなければならない、ということがあるのです。

つまり、法律でそういうルールになっているから、「正直に出せ」と言われても出す義務がないことが多いのです。逆に、法律が出さなくてもいいというものを弁護士が出したりしたら、その弁護士は依頼者から懲戒請求をされたり、賠償責任を負わされたりする恐れさえあります。

また裁判所にも、そういう「証拠の出しすぎ」にはとても厳しい判断を下すことが予想されるような雰囲気があります。従って、証拠をしっかりと出させるためには、道徳や信義に期待するような生半可な法律をいくら作っても無意味であり、法律で証拠の提出を強制するはかないのです。

アメリカでは、証拠を出さなかったら、法廷侮辱罪でその弁護士を牢屋にぶち込むようなことまでやることがあります。それは日本ではほとんど考えられません。あるいはアメリカでは、不当な争い方をして余計に弁護士費用がかかったら、それを払わせるというような制度もあります。

これらは、卑怯なやり方や、証拠の後出しで不意打ちを食らわせて勝とうとする弁護士が現れたのを受け、厳しい反省から生まれた制度でした。それに対して日本では、最低限度の対応(すなわち証拠の出し惜しみ)をしていても、それが裁判所から見て文句を言いにくいレベルであれば、それ以上は追及されません。これが卑怯な証拠の出し方、隠し方を許す結果となっているのです。

2015年11月14日土曜日

NPOの公益性をうんぬんする

国会で衆院議員の海江田万里氏(現・民主党)が同基金の不明朗な運営を追及した九八年二月当時、同基金は寄付者の寄付金控除が特別に認められる「特定公益増進法人」だったのである(その後、認定を取り消し)。この特定公益法人増進法人に認定したのは、ほかならない大蔵省自身であった。故大平正芳総理の理念を継承する、と自ら同基金を企画・設立した大蔵省が、社団発足三年後に「高い公益性」を認めて、特定公益法人増進法人に認定している。自作自演である。

同基金は現在、リストラを重ねる一方、会員向け研究テーマもベンチャー創出・育成とか金融戦略の基礎研究など新しいプログラムを加え、会員の維持に躍起だ。会員は全盛時には八〇社いたが、いまは一〇社足らず。二〇人いた職員も五人に減った。護送船団式行政の崩壊とともに、勝手気ままに振る舞ってきた大蔵省の天下り公益法人も、ウソのように没落してしまった。

NPOの公益性をうんぬんする前に、財務省(旧・大蔵省)をはじめ各省庁は、自らが所管する公益法人の「公益性」について実地検証すべきであろう。以上、各種ケースースタディで明らかになったように、公益法人問題の根源は各省庁が設立許可と指導監督を行う権限を持つ主務官庁制の弊害と設立根拠とされる民法三四条の欠陥にある。

古く一世紀以上も昔の一八九八(明治三一)年に施行されたこの法律は、もはや時代遅れのもので、まず「公益性とはなにか」が明記されていない。さらに、公益法人設立の要件として「主務官庁の許可を得ること」が定められている。結果、公益性の定義がないため、設立権限を握る主務官庁は、自分たちの裁量で公益性の有無を考え、公益法人の設立を許可することができる。公益法人ならぬ官僚の利益のための「官益法人」が数多く生み出された背景には、こうした制度的欠陥があった。

2015年10月14日水曜日

献体の法制化

私は日本人の良識を信じている。絶対に売体は行なわれないように、われわれは全力を尽くし、努力を怠ってはならない。すでにブラジルでは、生きている間に腎臓や角膜を一個四万ドルくらいで売る人が出ていると報じられている。小説『屍体商社』に書かれているような献体されるべき遺体の売買が起こることを阻止するには、ボランティアの献体運動を盛んにして、買うような気を起こさそないようにする以外にはないようである。

欧米においても腎臓の売買その他の反道徳的な行為が頻発したために、献体運動が盛んになった歴史がある(前出の酒井教授手記による)。日本において解剖体をめぐる悲劇的、反道徳的事件が起こらないようにするためにも、真の献体精神の普及に努め、日本独特の困難な事情を少しずつでも改善して、世論の支持を求め、献体をして下さる方を増やすことが急務である。一日も早く真の献体運動が一般の人々に理解されることを念じている。以上が一九八二年に私か執筆した小論文のほぼ全文である。あれからすでに十年近い歳月が過ぎた。しかし、事情は基本的には変わっていないように思われるが、いかがであろうか。

日本解剖学会の解剖体委員会の委員長を、帰国後二年半ほどでまだ日本に再順応できずに苦しんでいた頃に命ぜられ、ただ無我夢中で献体法制化運動を全国的レベルで展開し、実に多くの方々の積極的な協力を得てまる三ヵ年の心血を注いだ地道な運動の結果、珍しくも国会における反対演説がなかった法律として「医学及び歯学の教育のための献体に関する法律」が国会を通過して一九八三(昭和五十八)年五月二士五日に公布され、六ヵ月後に施行された。

この法律には、「献体の意思」について、次のように定義してある。この法律において「献体の意思」とは、自己の身体を死後医学又は歯学の教育として行わ れる身体の正常な構造を明らかにするための解剖(以下「正常解剖」という)の解剖体とし て提供することを希望することをいう。

献体法制化運動に平行して私ども解剖体委員会では、昭和五十八年度文部省科学研究費総合補助金による「解剖体確保対策に関する研究」を実施しか。この研究のために、わが国を北海道、東北、関東、中部、近畿、中国、四国、九州の八地域に分け、各研究分担者が一地域ずつを分担して(本邦各地方におけるくその土地の人)の献体に対する感情」の調査を実施した。

2015年9月14日月曜日

巨大金融資産の運用

巨大な金融資産の運用など成長が期待できる業務分野でも、外資は、なるべく格安で、怪しげな資産や生産性の低い従業員抜きで営業基盤を手に入れようとし、そのために、破綻もしくはその寸前の金融機関を狙っている。GEキャピタルによる東邦生命への出資や日本リースの買収、第百生命とカナダの生保マニュライフの提携、メリルリンチによる旧山一店舗網の取得などは典型的な例であろう。破綻寸前の買収でも、怪しげな資産や生産性の低い従業員をはずした別会社に出資して、そこへ健全な資産を移すやり方を外資は好む。

先にはスイス銀行と長信銀のケースをとりあげたが、日興証券へのシティーグループ(旧トラベラーズ)の投資も、今後の外資による大規模な投資のケースースタディとして興味深いものがある。大規模な投資は、日興の業況悪化と資金繰り急迫のタイミングをとらえて行われた。九八年四月にトラベラーズがシティコープとの世紀の合併を発表したその直後の六月、日興証券との資本・業務提携が発表され、八月に第三者割り当て増資と転換社債の割り当てで旧トラベラーズは約二二〇〇億円を出資、九九年三月には同グループとの合弁で、法人向け投資銀行業務を営む「日興・ソロモンースミスバーニー証券」が発足した。

注意深く振り返らなくてはならないのは、シティーグループが、新投資銀行の設立で法人顧客へ浸透する強力な拠点を実質手中にするとともに、リテールに特化する日興自体への投資でも賢明に立ち回ったことである。

目先の日興の株式や転換社債の投資利回りはたしかに低かった。しかし、割り当て増資は一株四三六円、転換価格は四四七円なので、提携発表一週間後には六〇〇円を超えた結果、たちまち巨額の含み益を獲得できた。もし日本での戦略を変えることが得策と判断すれば、シティーグループは、二〇〇二年八月にはこの株を処分して身軽になれるのである。

国有化されている長銀や日債銀に、どのような買い手がっくか。本書執筆時点では、アドバイザーに指名されたゴールドマンーサックスのお手並み拝見というところである。いずれにせよ、公的資金で不良債権を処理し、身綺麗になっただけでは、外資は食指を動かさず、その銀行がどのような収益を生む資産やフランチャイズをもっているのか、それが投資額に対して十分なリターンを生む見通しがあるのかどうか、を慎重に分析する。買い手を捜すアドバイザーに手を挙げた某外国投資銀行のスタッフは、「買い手は簡単には見っからない。日本の金融当局が、適正な値段で資産を処分できたという恰好をつけるのがアドバイザーの役目だ」 といっていた。

2015年8月19日水曜日

開放性結核の役割を果たす

胆嚢が最終的な保菌部位になることは、チフス菌の感染環形成に重要な意味がある。チフス菌が胆汁のみを栄養源にして増殖できることも関係しているのだろう。腸チフスでは、強い病後免疫が成立することが知られている。一方、患者の中には、保菌者になってしまう人がいる。患者でも、便の中にチフス菌が出てくるので感染源になるが、病後、保菌者にならなければ、その期間は比較的短いはずである。これに反して保菌状態になると、いつまでも便の中にチフス菌が出てくるから、チフス菌の感染環の保持には患者よりも保菌者のほうが重要な意味がある。チフス菌の保菌者は、ちょうど結核における開放性結核の役割を果たすことになる。

チフス菌は胆嚢における保菌状態を作るために、わざわざ全身に感染を広げるという、一見よけいなことをしているようにみえる。チフス菌は全身症状を起こさないで直接、胆嚢に感染することはないのかという疑問が浮かぶ。経口的に感染して胃を通過したチフス菌は、数量や解剖学的な理由で、胆汁の通る道を逆行して胆嚢に定着することはできないのかもしれない。またチフス菌のほかに、似たような症状を起こすパラチフス菌というものもある。ヒトに食中毒を起こすサルモネラの中のあるものは、ヒトにおける腸チフスに相当する病気を、ほかの動物に起こす病原体である。たとえばネズミチフス菌というサルモネラがある。さらに、そのほかの動物種に固有のサルモネラが存在する。サルモネラの場合に、それぞれの宿主種に適応したものがいるということは、宿主の種が分化していく過程で、お互いに違った宿主種に適応していったということだろう。

2015年7月15日水曜日

総量規制の発動

金融機関を通じての資金のフローを人為的に阻止する政策はきわめて強いインパクトを及ぼす。実際、総量規制の対象となった三業種では、あれほど潤沢であった流動性が急速に涸渇しだした。そして、資金繰りが苦しくなった不動産業者やノンパンクは、一転して不動産の購入に慎重となった。この上に、資金繰りのために不動産の換金売りが急増に転じた。こうした状況下では、不動産市況が暴落に転じるのは時間の問題でしかなくなった。

このように九〇年四月からの総量規制導入は、不動産市況の急落を引き起こした。そして、九一年に入ると、金融システムの安定性確保とい立面からも、ノンパンクや住専の経営状況の悪化が重大な問題になってきた。また住専が窮境に追い込まれるに至る過程では、総量規制の影響が大きかった。

総量規制の発動は、九〇年三月以降の三業種向け貸出の増加を完全に阻止することになった。実際、不動産業や建設業、ノンバンク向けの融資残高は、九〇年三月に比べ、その後は毎期フラットに抑制されてきた。こうした厳格な融資規制は、直接的には不動産業や建設業の資金繰り難平、悪くすると経営難までに結びつき、間接的には不動産市況の下落の加速要因となった。この状況下で、金融機関は融資先であるノンバンクや不動産業の資金繰り難などに対処するため、総量規制の対象外である住専や一部ノンバンクの融資増に強く依存することになった。

事実、これらの規制対象外ノンバンクや住専の、不動産業等や規制対象ノンパンクへの貸出が、金融機関を肩代わりする形で増勢を強めた。また、金融機関は規制対象外の一部ノンバンクや住専に対し、依然として積極的な融資姿勢を維持した。この時期に農林系統金融機関も住専に対し融資を著増させた。そして、これがほんの一~二年後に、金融システム全体を不安定化させかねない住専問題を惹起することになるとは、九〇年頃には思いもよらなかった。

しかしあれだけ巨額の資金が流れ込んだ後であるだけに、不動産市況の下落の度合いが深まるにつれて、総量規制対象外の一部ノンバンクや住専を経由した資金フローに膨張した不動産市場を支えきれるはずがなかった。そして、九一年末になり総量規制が解除される頃には、暴落し売るに売れない不動産が山積し、多くの不動産業者や建設業、ノンパンクは極度の経営不振に陥り、目を被いたくなるくらいの惨愉たる状況が出現するに至った。金融機関にとっては巨額の不良債権の発生という深刻な事態を招くことになったのである。

2015年6月13日土曜日

経営者を軟禁する非正社員の労使交渉

こんな僻屈や怒りがたまっていくと、どういうことが起こるだろうか。既存の体制(政府、経営者、富裕層など)に対する反乱が一時的に激増する可能性がある。反乱は合法的手段に訴えるものと、非合法的なものに分かれる。まず、合法的なものから説明しよう。非正社員の労働組合の組織化がさらに進む。現時点においてでさえ、非正社員の労働組合や彼らを支援するNPOのような組織が目立っているが、さらに非正社員の組織化は進むと想定される。

これには二つの理由がある。第一に、非正社員を組織化したり、支援する組織が増えたりしていることや、そこに様々な戦略的意味を見出す組織が急増することである。第二に、非正社員から抜け出せない人が増えると、彼らの階級意識や連帯感のようなものが強くなり、これまでよりも組織化が容易になるからである。次の図を見ればわかるように、日本の労働組合組織率は減少し続けている。その理由については様々なことが言われているが、サービス業が増えたり、パート労働者が増えたりしたことが大きな要因の一つだ。

そこから考えても、派遣労働者やフリーターというのは最も組織化しにくいはずなのだが、階級として固定化されると状況が大きく変化する可能性がある。ここでは、様々な組合に分裂せずに統一的に組織された場合を想定して話を進めよう。非正社員はいろいろな業種にまたがっているが、実際には専業主婦のパート労働者が相当数いるため、産業別に組織化されたとしても、それほど大きな力を発揮するとは考えにくい。やはり、卓越したリーダーが現れて非正社員のナショナルセンター(労働組合の中央組織)のような労働組合を組織化できるかどうかがポイントになるが、仮にそうなった場合、ものすごい力を発揮する可能性がある。

彼らは、個別の経営者と様々な交渉を行うだろうが、場合によっては、今年3月にフランス南西部でソニーの工場が閉鎖された際、解雇条件を巡って経営者が軟禁されるという事件が起こったように、激しい労使交渉が展開される可能性もあるだろう。もちろん、非正社員労組の活動は個別の労使交渉にとどまらない。日本経団連などの経済団体に働きかけたり、労働者派遣法を有利に改正しようと政府に働きかけたり、連合など既存の労働組合との連携を模索したりするだろう。日本のような成熟した先進国の場合、ハードな賃上げなどよりも、政策決定過程に影響を与えて、非正社員に有利になるような政策を作らせる方が得策だからである。

場合によっては、彼らは国際舞台を活用するだろう。日本の労働組合は連合系、全労連(全国労働組合総連合)系を問わず、国際労働機関(ILO)へ様々な訴えを起こすことが多い。筆者は厚労省時代、ILOを二度担当したが、日本の労組はILOへ様々な訴えを起こすだけでなく、国際的案件となると些細なことでも日本のマスコミが取り上げるため、随分とこの種の仕事に苦労させられたものだが、ILO内部には様々な流派があるだけに、日本の非正社員の抗議は大きく取り上げられる可能性も高い。

2015年5月19日火曜日

役所的雰囲気を和らげる方法

まず部屋の改造を行なった。細長い部屋の半分はアコーデー壁を濃いセピア色のクロース張りにして、役所的雰囲気を和らげる。壁にはすこしばかり仕掛けをして、上部には掛軸のような図面を何本もしまい込んだ。これをちょっと引っぱりだせば、横浜市の道路や土地利用状況、公園緑地の配置、上下水その他、さまざまな現況が同時に引きだされ、はね上げればただちに上部にしまい込まれる。もっともこれはかなり原始的な方法で、その後十数年たって私が市をやめるときは、地図情報をデータペースによるコンピューター処理し、もっと多角的に、多様に利用できる研究を進めていたから、さしあたりその原型だといえる。

壁の一角には、床から天井まで、横浜市全体の約一万分の一の貼り合わせ航空写真をはめこんだ。一軒一軒の住宅まで判別できる。この航空写真の上部には、スクリーンが隠されていて、詳しい情報はスライドで写しだせばよい。部屋の一角にはトレー台や図面入れがあって、不足の情報を引きだすことができる。このように、部屋の半分には、横浜市の多様な情報を利用可能な状態に整理しておいた。それまでの自治体では、こんな当然と考えられる情報整理さえも、ほとんどされていなかった。ルーチンワークだけくりかえしているのでは必要なかったのだろう。しかし都市づくりの計画には、まず正確でかたよらない多様な情報をペースにしなければならない。

細長い部屋の別の一角には、八十万分の一の日本列島の立体模型と、地球儀をおいた。この地球儀は地形を立体的に示し、土地利用や海洋の状況を表している。横浜市を考えるのには、市自身のことはもちろんだが、東京湾を含めた首都圏、日本列島、そして地球次元から考える必要があると私はスタッフにいっていた。それを形として示してみたのである。これもいまならさしずめ、ランドサットの宇宙写真になろうが、こうしたものを調えるのには、財政局の調度課に説明しなければならない。

私がいうたびに庶務係は苦労したようである。「日本列島の地図はまだしも、地球儀は横浜市でどうして必要なのか」と、やられたらしい。たしかにその当時の自治体は、横浜市のような国際都市でさえ、自分の区域以外のことはまったく考えないし、各自自分の部局からしか考えていなかった。もし世界の国々とのかかおりがなかったら、横浜は誕生しなかったのだし、一〇の都市と姉妹都市、友好都市姉妹港を結び、横浜港は世界各地の港と貿易を行なっている。それなのに地球儀ひとつが問題になるのが、当時の実態であった。

ここにあげたような小道具は、実用としてはどれだけ役立つたかは分らない。とにかくいままでの仕事の方法を切りかえ、これを機会に広く総合的、弾力的に物を考えようとするための実物教育になったことは、たしかである。それが人びとを育ててゆくために役立ち、その後全国から羨まれる、横浜の新しい都市づくりを実行してゆくきっかけになったのだから、わずかの経費は安いもので、市にとっても経費よりはるかに大きな効果を生んでいるはずである。

2015年4月14日火曜日

平成の高齢化社会

高野医師は、そのことを思い出し、紙芝居には人間の脳を総合的に刺激する効果があるのではないかと考えたのである。スタッフ会議で、治療に紙芝居を使うことを提案すると、スタッフからは「患者さんが参加できるようにするといい」という声が上がった。スタッフは早速、患者さんたちに聞き取りを始める。「軍隊に入って、新兵から手柄を立てた。記憶にあるのはのらくろ」鈴木太助さん(仮名・八二歳)「黄金バットー やっていましたね」米山徹さん(仮名・九一歳)「紙芝居と言えば、アメだよね」五島妙子さん(仮名・八七歳)高野医師は、紙芝居を求めて、東京・神保町の古本屋を回ったが、そこでは手に入れられなかった。しばらくして、インターネットを通じて、「黄金バット」の紙芝居を持っている人が見つかり、譲ってもらうことができた。届いた紙芝居の絵は、思っ たより迫力がある。高野医師は「ちょっと怖い感じもするなあ。昔のことを思い出して頂くだけでなく、コミュニケーションのツールとして使いたい」と話していた。

ただ紙芝居を見せるだけではなく、患者さんたちに関わってもらいたい。スタッフは、五島さんには拍子木を叩いてもらうことにした。米山さんには、太鼓をお願いする。二人で合わせるための練習もした。いよいよ紙芝居の当日、患者さんたちが「思い出ミュージアム」に集まった。五島さんの拍子木と米山さんの太鼓を合図に、自転車に乗った紙芝居のおじさんが登場。まずは、べっこう飴が配られる。紙芝居が始まれば、患者さんたちは子供の時と同じように見入った。

「破壊光線さえ手に入れば、世界は私のものだ。ハッ、ハッ、ハッ、ハー」黄金バットが終わった後、患者さんたちの表情が楽しげだった。紙芝居は、みんなの記憶を相当刺激したようだ。高野医師は、さらに思い出を刺激する治療を開発してゆくつもりである。こうした回想療法を認知症の治療だけでなく、予防にも活用しようという動きが出始めていた。愛知県北名古屋市では、全国でも珍しい地域での回想療法による「介護予防事業」が行われている。ある日、古い民家に、高齢者たちが続々と集まってきた。名古屋近郊でひな祭りの時によく作られていた「おこしもち」を作る催しが開かれるのである。三〇年ほど前からは、家庭ではほとんど作られなくなったという。

参加者の一人は「小学生の頃は毎年、家中で作ってお飾りにしたものでした。私のところは一〇人兄弟で大変だった。なつかしい」と話す。別の参加者は「この古い家が、子供の頃の家の雰囲気とよく似ている。今住んでいるのは新しい家で。ここに来ると、家に帰ってきたみたいで心も落ち着くし、昔のことも思い出す」と語った。昔懐かしい場所で、昔懐かしい行事を再体験することで、認知症を予防しようというのだ。平成の高齢化社会を「昭和の記憶」が救うかもしれない。

東京・新宿の高層ビルが立ち並ぶすぐ近くに、巨大な集合住宅がある。都営戸山団地。一九五〇年に建設され、今なお二〇〇〇世帯が暮らす。当時は「憧れの住宅」だったが、六〇年近くが経ち、この団地も高齢化の波に襲われていた。建設当時から住み続けている山ロクスエさん(八五歳)は、二人の子供が独立し、夫も一〇年前に亡くなったため、今では一人ぼっちで暮らしている。「お隣さんとも顔を合わせない日が多い。いずれは孤独死がやってくると思う。一人暮らしをしているから」

2015年3月14日土曜日

関連情報に接することを認めない

IAEAがまとめた最新の報告書によると、イラン中部ナタンツのウラン濃縮施設で稼働中の遠心分離機は5月末時点の約4900台から、8月時点で4600台に減った。

イランが濃縮活動をペースダウンさせたとの見方もある一方で、核専門家は「濃縮ウランの生産量は着実に増えている。遠心分離機の稼働数だけでは即断できない」とみる。

ソルタニエIAEA大使は4日、IAEAに送った書簡で「ナタンツの濃縮施設で査察への協力を拡大した。西部アラクで建設中の重水炉に1年ぶりに査察官の立ち入りを認めた」と協力ぶりを強調。核兵器開発研究疑惑については「証拠は捏造(ねつぞう)されたもので根拠がない」との主張を繰り返した。

だが、核爆弾に応用できる高性能起爆装置の実験など一連の疑惑の解明は進んでいない。IAEAは報告書で「1年以上もイランとの間に実質的な議論がない」と指摘。関与が疑われる人物や場所、関連情報に接することを認めないイランへのいらだちを募らせる。

米英仏露中独の6カ国は2日、独フランクフルトで外務省高官級の協議を行い、イランに核活動停止を求めて、今月の国連総会前に交渉再開を目指す方針を確認した。

2015年2月14日土曜日

変貌をとげた中国軍

軍事力の近代化にともなって、中国の軍事戦略は大きく変わった。侵攻してくる敵を人民の海の中に誘い込み、包囲・殲滅する遊撃戦主体の毛沢東の「人民戦争戦略」は郵小平時代に放棄され、その代わりに国境付近で外敵の侵略を撃退する局地戦争(限定戦争)に対応した「積極的防禦戦略」が導入された。

改革・開放の結果、沿岸部に発展した諸都市の防衛が中国軍にとって急務となったからである。この新戦略の主役となるのは、「合成集団軍」である。

外敵の近代的な機甲師団を撃破するため、兵力、機動力、火力の面で敵を圧倒する装備を持った軍隊の編成だ。歩兵中心のマンパワーに頼ってきた従来の中国軍とはまったく異なる、近代的装備の軍隊のエースこそ、合成集団軍なのである。

「精簡整編」をスローガンに進められた軍制改革の結果、中国軍の兵員総数は八〇年代の四百二十万人から、現在は三百万人体制ヘー段とスリム化した。

中国軍は常時臨戦態勢の軍隊から、有事に即応性の高い、機動力のある近代的な軍隊へと変貌をとげたのである。中国軍が以前に比べてより進攻型の性格を強く感じさせるのは、このためだ。

陸上戦略の転換によって、海洋戦略もまた画期的な改変を見た。沿海部の都市や軍事施設の警備を中心とする従来の沿岸防衛から、現在は領海の防衛を中心とする近海防衛に重点が移ったのだ。

そのための中国海軍近代化の象徴として、航空母艦の保有・建造問題が浮上している。中国外交当局は外国との空母の共同建造や外国からの購入を明確に否定しているが、中国中央軍事委員会が空母二隻を十ヵ年計画で建造する決定をしたとの報道もある。

このような海上戦略の転換によって、海洋権益の確保や海上輸送ルートの安全保障を図るためにも、将来、空母保有の必要性が高まることも予想されるのだが、近隣諸国が懸念すべきことは、それよりもむしろ、「シーレーンの航行妨害や台湾の海上封鎖などに威力を発揮するロシア製のキロ級潜水艦の購入や、旧ロメオ級を改良した宋級潜水艦の建造など、潜水艦の戦力増強の動きであろう」(阿部純一「海洋をめざす中国の軍事戦略」『国際問題』九六年十月号)と専門家は見ている。

2015年1月17日土曜日

連立政権

単独政権に対置される政治用語。一つの政党だけで組織される政権が単独政権。二つ以上の政党を基礎として閣員が構成される政権を連立政権という。

一九九三年八月、長期にわたる自民党の一党支配を覆して、「非自民」を旗印に掲げた新生党、社会党、日本新党、公明党、民社党、さきがけ、社民連など八党派の連立による細川政権が発足、「連立政権時代」が幕明けした。

以後今日まで、羽田、村山、橋本、小渕、森と政権を構成する政党の組み合わせの違いはあるが、連立政権が続いている。

戦後日本の政治史上、連立政権は現在が初めてではない。日本が戦争に敗れた四五年以降、片山哲内閣、芦田均内閣といずれも社会党と民主党、国民協同党との連立政権が続いた。

また、自民党と社会党の二大政党制が確立された「五五年体制」下でも、八三年の第二次中曽根康弘内閣は自民党と新自由クラブの連立政権であった。

もっとも、九三年八月の細川内閣以降の連立政権は、それ自体が一般的な政治現象として定着をみた点で、それ以前の連立政権とは性格がかなり異なっている。