2014年11月14日金曜日

日本における民事裁判の問題点

銀行の貸出秦議書についていえば、金融機関が適正な融資を確保するために当然に作成されており、監査とか検査とかでは見られるものなのです。当局の検査等の対象にもなっていて、所持者以外には見られないプうイベートな文書ではないのであって、まして第三者による利用が全く想定されていないような性質のものではないのです。

それを日本の最高裁は「民事訴訟では出さなくてもいい」というのですから、「監査や当局の検査では調べられるような書類も、民事訴訟では証拠として調べる必要がない」と最高裁は言っているに等しいのです。こういうことで泣かされるのは、責任追及の道が閉ざされた側=被害者(あるいは一般国民)であるということになります。

これでは、日本の民事裁判において、いつまでたっても証拠隠しの横行に歯止めはかかりません。せっかくの新民事訴訟法の定めも、まさに「絵に描いた餅」になってしまったかのようです。裁判においてさえそういうことでは、裁判外ではなおさらでしょう。

この問題については、裁判所の従前からの証拠提出に関する消極的な考え方や、役人たちが作った新民事訴訟法の条文の書きぶりなとがらすると、最高裁の判断も「伝統的な法解釈」のおり方としては誤りではないということになるのでしょう。

そもそも、新民事訴訟法ができる以前の法律では、証拠の提出を求めうる場合が限定的に定められており、その限定的な要件を満たさない限り証拠提出義務はない、という制度が長く続いていました。

あるいは、「勝つべき原告は、現在の手持ち証拠でも勝てるのが普通だから、現行法で不都合はない」という裁判官の意見もありました。これなどは、裁判官が実際の裁判結果が正しいと思いこんで何の疑問も持っていない証拠でした。