2014年8月19日火曜日

乱世を生きのびるには

主導権をにぎれなければにぎっている国の後に従う、というのもバカ気だやり方で、それで得るのはさらなるカネを吸い上げられることでしかなく、こうなればおとなしい日本人も、株主代表訴訟に似た行為を国に対して起すかもしれない。援助外交と聴くと私は援助交際を思い出してしまうが、単なる売春を援助交際と言い換えたり、単なるバラ撒き外交を援助外交と言い換えたりすることによる目くらましに欺されている余裕は、もはやわれわれにはないのである。そして、大国でないがゆえに問題を討議するグループからさえもはじき出されている日本は、実効力のあるアイデアを主張しても他国が乗ってこないという場合に、これからはしばしば出会うようになると思う。だからと言って、手をこまねいていては影が薄くなる一方だ。

それで、というわけで提案なのだが、こうなっては腰を落ちつけて、日本人だけで解決できる問題に、われわれのエネルギーを集中してはどうであろうか。他国をないがしろにすることまではできないが、優先的に、ということならばできる。そしてそれは、経済力のさらなる向上、以外にはない。国家にとっての体力は経済力であるからで、経済と技術の向上となれば、日本人にとっては、「自分たちだけでやれること」になるからである。

主導権欲しさに悪あがきしても効果なしとは、安保理常任理事国入りの一件でわかった。援助外交も効果なしということも、三十年にわたる経験でわかった。この現状を外交の八方ふさがりと言うなら、八方ふさがりでいる間にせめて、体力の強化に活用してはどうだろう。日本をめぐるめぐらないにかかわらず、世界情勢の激動はちょっとやそっとでは収まらないのだから。それに、諸行は無常なのである。いつ、日本に出番がめぐってくるかわからないし、反対に当分の間は出番はめぐってこないかもしれない。ならばその間は腰を落ちつけて、意志があり努力する気さえあれば他国と相談しなくてもできること、つまり自分の国の経済力の向上、に専念してはどうだろう。

言ってみれば今度こそ、堂々とエコノミックアニマルをやるのである。国家の体力である経済力の向上のために必要とあれば、諸制度の改革も強行せねばならず、各種の公的半公的機関によるムダ使いを斬ることも避けては通れない。そして何よりも重要なのは、持てる資源を徹底して活用する冷徹な精神である。日本の資源と言えば、人材であることは言うまでもない。体力にさえ自信がつけば、何に対しても人間は、自信をもって対処できるようになってくるものですよ。

「乱世を生きのびるには」と題した前回では、今度こそ堂々とエコノミックアニマルをしようではないか、と提案した。外交は八方ふさがり、それでいて激変する一方の世界現状では、いたずらに友好国を求めて右往左往するよりも、自分たちだけでも達成可能なことに徹するほうが効率が良いと思うからである。そして、それはわれわれ日本人にとっては、経済力の確立と技術力の向上というわけだ。経済力は、国家にとっての体力でもあるのだから。