2014年5月23日金曜日

多変量解析

ソーターという機械は、一回に単一の変数の数値の分布しかすることができない。特定の大統領候補に対する支持という変数が、カードの第二〇行に入っているとするなら、一組二八七一枚のカードを一回機械にかけると、そのパンチに従ったポケットにカードが分類される。つまりソーターは、単変量解析の機械だったのである。大統領候補の支持率を従属変数(結果)とし、性別という変数を独立変数(原因)として二つの変数間の関係の解析つまり二変量解析(bivanate analysis)を行いたいと考えたとする。その場合は、ソーターのそれぞれのボックスに落ちたカードの山を一組として、同じ過程を、繰り返していかなければならない。

最初のカードの山は第一回の支持率に関する分類で、「支持」と「不支持」の二つの山に分かれたとする。第二回目の性別という変数に関する分類ではこの二つのカードの山を、それぞれ「男性と女性」の山に分ける。そして出来上ったABCDという、四つのカードの山の実数を、図の下に書かれた表にまとめる。こういう形で、記述的な単変量解析を二回重ねることによって、われわれは説明的な二変量解析に進んでいくのである。あのソーターによる解析は悪夢のような作業であった。しかし深夜のリサーチーセンターの機械室で、私たちは何度もカードを破りながら、サーヴェイーリサーチの論理を学んでいったのであった。それはいわば数量というものの扱い方を、手の作業を通じて覚えて行く過程であった。

さて私はあのソーターによる実習でサーヴェイーリサーチの論理を学んだといった。しかしサーヴェイーリサーチの本格的な論理は、図で示した二変量解析に、もう一つ変数を加えたところから、つまり三つ以上の変数を使用した多変量解析(multivariate analysis)の段階から始まるのである。それはどういうわけであろうか。

今、因果法則を支える三つの基本的原則を考えてみるとそれは田従属変数(結果)に対する、① 独立変数(原因)の先行、② 両変数の共変、それに、③ その他の変数の統制という、三つの条件であった。そしてこの三つの条件のうち、もっとも困難と思われる第三の条件、つまり「その他の変数の統制」は、前章で述べたように、実験的方法においては、変数の状況的操作によって解決されたのであった。つまり独立変数の影響におかれる実験群に加えて、独立変数の影響のない統制群を設定することによって、解決されたのであった。

このように実験的方法においては、研究者が実験群と統制群とを無作為に抽出するというような、状況の統制、あるいは操作を行うことかできた。しかしデータをコンピュータ化したサーヴェイーリサーチの方法では、現実の状況を操作することはできない。そこで現実を操作する代りに、この方法は数学的操作の方法を使用して、独立変数以外の第三の変数群を、統制しようとするのである。このような統制を加えない限り、第三の変数によって、従属変数が影響を受けている可能性を除去することはできない。

2014年5月2日金曜日

雲南地区の戦い

先月の末、九州の大村と福岡へ行って来た。一九八一年(昭和五十六年)以来、私は、私の戦争長篇小説三部作と称して、龍兵団、勇兵団、菊兵団の、中国雲南省、北ビルマの戦いを扱った小説を書き、今年二月に連載を終えた。そのための最後の取材旅行に行って来た。連載が終わった後に取材旅行に行ったというのは、自分の書いたものが間違っていないかどうか確かめたかったからである。間違いがあれば、直して単行本にしなければならない。架空の部隊や架空の戦場を書いたのではない、どこで、どこの部隊が、どんな戦闘をしたか、戦史として読む読者にも応えなければならない。

その日、その時間、その場所での戦闘は、一つしかない。その部隊は決まっており、その隊の指揮官は明らかである。中隊長、人隊長、師団長、軍司令官、それぞれ、明らかである。一人しかいない明らかな人を架空の人物としては書けない。パロディにすれば、乃木大将であれ東条大将であれ、実物をどんな人物にでも変えられようが、私にパロディを書く気はない。

小説だから架空の人物を登場させたいが、架空ではない戦争を扱った小説では、無名の下級兵士でなければ、架空の人物は登場させられない。だからというより、私は下級兵士の立場で戦争を語りたいので、私の戦争小説の主人公は、いつもド級兵士である。私は、中国雲南省で全滅した騰越守備隊を扱ったものを「断作戦」と題して第一部とし、同じ雲南省の龍陵の攻防を書いた「龍陵会戦」を第二部としたが、「断作戦」と「龍陵会戦」とは、連載を始めて完結するまで、合わせて四年半ぐらいしかかかっていない。ところが、第三部の「フーコン戦記」を書き終えるのに、それから十三年半かかった。

私は、雲南地区の戦いには参加しているので、二部までは書きやすかったのであろう。北ビルマのフーコンには行っていないので、推理や創造で書かなければならない部分が、より多く、それで手間どったのだろう。本や写真を集め、生還者の手記を読み、話を聴いても、書くことに自信を失いがちで、だから、推理や想像の当否を確かめに、連載が終わってからも、話を聞きに行ったりするのである。

だからといって、雲南だけで戦争長篇を終えることはできなかった。ビルマの戦い、というと、インパールばかりが大きく報じられているが、昭和十九年、日本軍はそれだけの戦力もないのに、インパールの占領を夢想し、米英支連合軍は、インパールでは日本軍の自滅を予見し、雲南、フーコンをビルマ反攻の主戦場とした。日本軍には戦力もない上に、その連合軍の意図に対応する知恵もなかった。ところで、龍は第五十六師団、勇は第二師団、菊は第十八師団の防諜号である。防諜のためだといって旧軍隊には、そのような呼称がついていて、老人たちは懐かしさを感じながらも今も口にしている。たが、若者たちはこんな言葉を聞くと、むしろ、あの戦争が遠くなるのではないか。