2013年11月7日木曜日

経済成長とナショナリズム運動の拡大

彼らの活動がこれだけ大きな潮流となり、多くの支持を受けている背景には、現代インド社会の抱える苦悩かあるはずである。伝統的な共同体か崩壊し、確固たる自己アイデンティティが持てず、街には物質的欲求をくすぐるさまざまなモノが溢れかえる現代社会で、A君のように、新たに自己存在のあり方を問い、ダルマの回復を希求する宗教復興的な心性か高まっているのは確かである。それか、ヒンドゥー・ナショナリズムという政治的運動に多くの部分で回収され、さまざまな問題を引き起こしている。A君と話した晩、みんなか寝静まっても私は眠れなかった。A君の抱える問題と私自身の問いか重なったからである。

私が大学に入学したのは一九九四年である。翌年、オウム真理教の地下鉄サリン事件か起こった。現代社会のあり方に疑問をもち、自己の存在のあり方を懸命に問う若者だちかあのような凄惨な事件を起こした。一方で、社会学者の宮台真司は、彼らの一世代下の私たちを「まったり世代」と称して賞賛した。生きる意味などを問わず、その時々の楽しさという「強度」を求めて「終わりなき日常」を生きてゆく。それこそが成熟した近代社会の生き方である。そう彼は主張していた。「なるほど」と正直思った。しかし、強烈な違和感も同時におぼえた。「信仰かあるからこそ、終わりなき日常を生きてゆけるのではないのか?」そう思った。

また、同時に保守派による戦後民主主義批判が大きな流れになっていた。その議論に、私は強くひかれた。しかし、彼らが振りかざす「公の精神」という観念に強い疑問を感じた。「結局のところ公と私を二分化する近代主義者なのではないか?」と思った。小林よしのりは、『戦争論』や『ゴーマニズム宣言』などの一連の著作の中で「公」の精神の重要性を強く説いている。そして、一方で「私」の領域では非常にふしだらな行為を行なっていることを激白している。公の領域では立派な日本人を演じる反面、私の領域においては何をやってもよい。これを読んですぐにマックスーウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の最後のくだりを思い出した。ウェーバーは、世俗化し合理性や効率性のみを追求する近代社会か「精神なき専門人」と「心情なき享楽人」という二分的な人間を作り上げてしまったことに、強い警告を発していた。「信仰を失った保守主義者は単なる近代主義者なのではないか?」と強く思った。

私には現代日本の出口が全く見えなかった。私は日本社会か歴史的に蓄積してきた宗教的伝統を見つめなおしたかった。しかし、そのような意識は、ともすると信仰なき近代的保守主義者のイデオロギー的なナショナリズムに回収されてしまう。かといってカルト的な宗教には惹かれない。ポストモダユズムは「脱構築」を目指すばかりで、あるべき価値を語ろうとしない。価値を語ることの権力性ばかりを強調する。うんざりである。私は悶えていた。だからこそA君の話を重く感じた。現代インドの抱える問題と私の問いはつなかっている。地続きである。そんなことを、かすかに月明かりがもれる窓を眺めながら感じた。

悶えるインド、悶える日本、そして悶える私。この日から、私のヒンドゥー・ナショナリストとの本当の意味での格闘か始まった。インドは九〇年代初頭の経済の自由化とともに、急激な経済成長を遂げてきた。外国企業は、一〇億人の大国インドの巨大な市場の潜在性に目をつけ、次々と進出してきた。このような過程で、IT産業の分野では、インドは世界的に重要な拠点となり、現在では多くの有能な技術者を輩出しつづけている。「IT大国・インド」の誕生である。また、そのような経済発展に伴い、都市におけるインド人のライフスタイルも急速に変化してきた。街にはジーンズとTシャツを身に着けた「洗練された」若者達が溢れ、アメリカンスタイルのハンバーガーショップやコーヒーショップを、彼らが埋め尽くしている。世界的なブランドショップも次々とオープンし、どこも概ね盛況である。