2013年8月28日水曜日

補助金がないと維持ができないハコモノ

「橋ができてよくなったかって? たしかに便利にはなかったが、外からやってくる連中にも便利さあ。夏にもなれば、大きなタイヤの車でビーチを荒らしまわっとるさ。そのうえ、酒を飲んではそこら中に缶を捨て、煙草を捨て、今では美しかった島はゴミだらけよ。こんなはずじゃなかったんだが、もう橋ができてしまった以上、今さら来るなとは言えんしなあ」都会に出て行った若者が戻ってきたわけでもないらしい。こんなはずじゃなかったと、オジイは何度も愚痴をこぼした。戦後、離島や過疎地のインフラを都会並みに近づけようとして莫大な予算をつぎ込んできた。そうすれば過疎地や離島の悩みが解消できると考えたのだろう。そのために、社会的コストを無視して税金を投入してきたが、結果的に過疎地はますます過疎化していっただけだった。どうしてだろう。

過疎地の問題を交通の問題としてとらえたところに間違いがあったのだ。橋をつくれば、出て行った人は戻りやすいが、島に住む人も出やすくなる。そして、より便利な都市へと、出て行く。離島苦の問題は交通ではなく、仕事がないことなのだ。これは橋をつくっても解消しない。雇用がなければ出て行くしかないのである。政治も行政もそのことに気づいていながら、公共工事をなくしたくないためにだんまりを決め込んでいる。 橋ができれば観光客も便利だという意見もあるが、冗談ではない。二泊三日の忙しい団体客ならそれもいいだろうが、リピーターはむしろ、小さな孵に乗って渡るほうを選ぶ。彼らが沖縄に憧れるのは、東京と違って時間がゆっくり流れているからである。

島によっては無人島になってもいいと、私は思っている。そんなことを言うと「弱者を切り捨てる気か」と叱られそうだが、国民に負担を強いる社会的コストにも、一定の限界があることを知るべきだ。コストの有用性を考えず、無駄を極限まで進めた日本国の責任は重大だが、何も言わずに浪費してきた沖縄にも責任はあるだろう。うらやましい沖縄の公共事業国の補助負担率が九割、私が〇八年の夏に古宇利島へ行ったときだった。すでに海岸のそばの道路際には、宅地分譲の看板が立っていた。ここも瀬底島と同じように、いまや別荘地として注目されているのだという。

現在、沖縄県が整備した主な離島架橋は一三あり、そのなかには宮古島と来間島を結ぶ二一九〇メートルの日本一長い農道橋「来間大橋」もある。織田裕二が出演したスズキ・ジムニーのCMに使われた橋だ。さらに二〇〇一年には三八〇億円かけた全長三四五〇メートルという巨大な伊良部大橋も完成する。これらの橋の通行料はすべて無料で、伊良部大橋は無料で通行できる橋としては日本一になる。瀬戸内の離島出身の友人は、これらの架橋を見て思わずうなり、「沖縄はうらやましいねえ」と何度も呟いた。そりゃそうだろう。全長三・五キロの橋がいとも簡単にできるなら、瀬戸内海など橋だらけになってしまう。

たしかに沖縄は有人島数四七(沖縄本島とつながる九島を含む)の離島県には違いないが、それにしても数百人規模の離島に、数百億円もの橋をかけるなんて、どう考えても異常だ。なぜ沖縄だけが巨大な公共工事が可能なのか。次の「国庫補助負担率」の比較表を見ていただくとわかるように、公共事業に関して沖縄は別格だからである。橋も同じで、他県の国庫補助負担率は二分の一だが、沖縄では九割が補助される。しかし、公共工事が巨額になればなるほど、ランニングーコストである管理費も巨額になることは言うまでもない。いずれの日か米軍基地がなくなり、国家そのものが地方の事業を補助する余裕を失ったとき、沖縄はみずからこれらの巨大施設を管理することができるのだろうか。

とまあ、深刻に考えても、できてしまった橋はなくなるわけでもなし、せっかく無料の巨大な橋をつくっていただいのだから、存分に楽しませていただくことにする。古宇利島大橋など、シーズンオフにはほとんど車も通らないから、インラインで思いっきり滑れば、海を渡るカモメになった気分を味わえる。それにしても二七〇億円のインラインーコースとは何とも贅沢な。沖縄の各地で豊年祭が行われていた頃、私は久高島から那覇に戻ると、とるものもとらず、やんばるに向かった。最近は時間ができると、目的もなくやんばるに行く。この日、本部の友人が、辺野古にできた「辺野古交流プラザ」を見学に行くというので同行させてもらった。