2012年8月8日水曜日

露呈した金融行政の矛盾

この再建計画は単にずさんだというだけではなかった。もうひとつ別の、そしてもっと大きな問題を含んでいたのである。新生銀行(旧日本長期信用銀行)がそごうに対して持っていた約二〇〇〇億円の債権を預金保険機構が買い取ったうえ、九七〇億円分の債権を放棄するという点だった。

破綻した旧長銀を国が一時国有化して、米国の投資会社リップルウッドーホールディングに売却した際、貸出債権が三年以内に二割以上減額した場合は、同機構に買い取り請求できるという特約があったからだ。これは、民法の瑕疵担保責任条項を準用したもので、「担保特約」と呼ばれている。放漫経営で資産内容が傷みに傷んだ旧長銀をまるごとどこかに引き受けてもらうには、このような特約を付ける必要があったのだ。

いずれにせよ、新生銀行はこの特約をタテにとってそごう向け債権を預金保険機構に押し付け、自らはまったく損失を被ることはなかった。だが、認可法人であり、事実上、政府の一部を構成する預金保険機構の債権放棄は、税金による救済にほかならない。

金融機関であれば、預金受け入れ・貸し出しを通じて信用創造と決済機能を備えるという公的性格を持つ。これが、金融機関の破綻処理や大手銀行への資本注入などに税金が使われる際の「錦の御旗」だった。だが、流通業であり、一般の事業会社にすぎないそごうに税金を投入する大義名分はまったく見当たらなかったのである。

このため、国民の間からは「大手とはいえ、一デパートを税金で救済するのか」という批判が高まった。そして、怒った消費者はそごうで買い物をするのをやめた。「不買運動」がごく自然発生的に起こったのである。山田社長が「お中元商戦も深刻な影響を受け・・・」と発言した背景には、そうした状況があったのだ。もともとブランドカの弱いそごうがこんな形で消費者を敵に回しては、ずさんな計画の下の経営再建の実現はますます遠のかざるを得ない。民事再生法の適用申請は避けられなかったことなのである。

そごう倒産劇をめぐっては、国民の怒りが各方面に向けられた。まずは、無謀な出店戦略でそごうを破綻させながら、自らは高額の報酬を得ていた水島前会長。前会長の放漫経営に資金を供給し続けた主力銀行の興銀。興銀はすでに九四年二月期の段階で、そごうがグループとして債務超過に陥っていたことを把握していたにもかかわらず、なんら抜本対策を講じようとはせず、他の金融機関を欺き続けた。

そして、預金保険機構の債権放棄を了承した金融再生委員会に対しても、厳しい批判が向けられた。国民は金融機関への税金投入に対しても釈然としていなかったのに、事業会社まで救済しようとする究極の「護送船団行政」に強い拒否反応を示したのである。このまま税金による救済が通れば、企業経営者のモラルハザード(倫理の欠如)に歯止めがかけられないのだ。

そごうは一流通業者とはいえ、その倒産劇には、日本の金融行政、金融業界の抱える問題点が露呈した。まず営不振を続ける大手企業が破綻する恐れも出てきた。新生銀行はこれらの企業にもかなりの債権を有しており、そごう同様に担保特約をタテにとって預金保険機構に押し付ければ、そうなる可能性は高いのである。その場合、いったん沈静化した金融不安が再燃しかねない。

担保特約には、この間の日本の金融破綻処理の矛盾が集中的に現れている。また、国民は水島前会長らそごうの旧経営陣の経営者失格ぶりに怒りを示しただけではない。護送船団行政、裁量行政から抜け出せない金融当局、「銀行の常識は世間の非常識」を地でいく大手銀行の無責任さなどには、怒りを通り越してあきれてしまったのである。

一九九四年暮れの東京のふたつの信用組合の破綻から始まった金融不安、あるいはその克服を通じて、日本の金融行政は大きくカジを切り替えたはずだった。しかし実は、根底においてあまり変わっていなかったのではないか。そごう問題は多くの国民にそう感じさせずにはおかなかった。